2006年03月06日

 『欧州選手権2006』にて 1 

 先日フランスの優勝で幕を終えた、スイスでの欧州選手権2006
 私は準々決勝と決勝を観戦しにチューリッヒに行きました。試合会場内外で遭遇した、思い出に残る出来事をここで綴っていきたいと思います。

続きはこちらです
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2006年03月30日

 『欧州選手権2006』にて 3

 客席に向かうとき、その方と紹介してくださる日本人の方がどのような方なのかを教えていただきました。想像に難くなく、お二人ともハンドの関係の方でした。そして、その方を見かけたことがあると思ったのは、ある意味間違いではありませんでした(後日自宅でその方のことを詳しく知ったとき、冊子か雑誌で確かに見た記憶が蘇りました)。

 紹介された日本の方は、なんと大同特殊鋼の清水助監督でした!!
 客席まで招いてくれた韓国の紳士は・・・姜監督でした!! うわーっ!

 監督は現役時代、フェアプレーで有名な超がつく程の名選手。あの人ごみの中でも、人目をひく印象的な方ですし、会場の人々はすぐに気付いたのですね。
 清水助監督とは自己紹介やハンドの話しでお互い驚きつつ・・・私は恥ずかしいことにここ数年の日本の事情をほとんど知らなかったのですが、清水さんが丁寧にしてくださるお話しを聞きながら「よし、今季は大同特殊鋼さんを応援しよう!」と心に決めました。
 弟2試合終了後に玄関でお会いする約束をしていたのですが、出口は2つあり、お互い違う場所で30分近く待っていました。前回に強調しましたが、あの尋常でない寒さのせいもあってか(屋内と屋外の寒暖差もすごかったですし)、清水さんは後日風邪をひいてしまったそうです・・・。きちんと場所の確認をしなくて本当にすみませんでした。

 改めて、姜監督、清水助監督、選手の皆さん、スタッフの方々、影で支えていらっしゃった会社やその他関係の方々、ファンの皆さん・・・大同特殊鋼の優勝、本当におめでとうございます!4月14日に控えたクラブ選手権でのご活躍も楽しみにしています。

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韓国の紳士は、過去、コート上でもやはり紳士でした。
次回は、待ち合わせに失敗した私が遭遇した心温まる出来事についてです♪
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2006年04月06日

 『欧州選手権2006』にて 4

 出入口付近をうろうろし(じっと立っているには寒すぎるので)待つこと30分、人も少なくなってきたので私は一度ホールに戻ることにしました。

 試合開催中、入場する際には厳重なチェックがあり、私の持っていたトートバックは持ち込むには大きすぎるということで預けなければなりませんでした(預かり所で2スイスフラン、外には簡易コインロッカーも設置されていました)。
 出る際に鞄は返してもらっていたので、再入場の場合はどうなるのかなと思いつつ出入口を通ると、人も少なく手荷物預かり所の係員さんは問題ないと笑っているので、預けずに中に入ることができました。
 反対側の出口を見に行って待ち人がいないことを確認してから、私はホールを離れることに決めました。最初に待っていた側の出口にトラム(路面電車)の乗降場所があるので再びホールを横切り切符販売所に行きました。が、財布を開けて「あ、しまった!」と思いました。・・・小銭がない!! のです。

 空港で両替をしたとき、100スイスフラン札以外に少しの小銭しかもらえなかった私は、100スイスフランを両替して欲しいと頼みました。が、銀行の方はどこでも使えるから大丈夫と言って変えてくれず、私の財布にはそのまま使わずにいたお札が残っているだけでした。「銀行員さん・・・100スイスフラン入れるところ、切符売り場にないよー」と呟きつつ、両替できそうなところを探しましたが見渡す限りありません。私はまたホールに戻りました。

 ホールには職員らしき人と観客がわずかに残っているだけ、お店は既に全部閉まっていました。近くにいた係員に両替したい旨を伝えると、お店を後片付け中のバイトの人たちに声をかけて聞いてくれました。しかしキャッシャーごと既に移動したようで両替不可能。バイトの人もどうするのがいいか一緒に考えていました。
 すると、すぐそばにいた女性が5スイスフランを、私に差し出してきました。
 会話が聞こえていたようで、「困ったときはお互いさま」と笑いながら言います。「本当に頂いていいのですか?」と聞くと、「全く問題なしよ。5フランで足りる?」と言ってくれました。
 駅まで行けばそこで両替できるから、と私が答えると、「チューリッヒでの滞在を楽しんでね」と女性は微笑んで、颯爽と歩き去って行きました。

 私はありがたく頂いた5スイスフランで、最寄の駅までの切符を買うことができました。この日は土曜日だったので、もしこの女性と出会わなかったら、両替をするのにかなりの時間がかかったと思います。
 この女性だけでなくスイスの方は皆、本当に親切です。観光が国の主な収入源のひとつであるからでしょうか、ほとんどの人が英語を話します。
 今回はハンド観戦以外の時間がなかったけれど、女性が言ってくれていたように、今度はゆっくりチューリッヒの街と滞在を楽しみたいと思います。

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参考までに、1スイスフランは約90円でした。
次回は世界共通(?)学生ボランティアのお話しです♪
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2006年04月10日

 It's a small world♪ 1

 あれは1997年から98年のシーズンのこと。
 私は仕事で都内のホテルに宿泊中でした。外出から戻ってきたホテルの入り口で、体格のよすぎる男性数名とすれ違いました。長身だけれどがっしりしている。すれ違いざまにぴんときました。ハンドボールの選手だ、と。
 フロントで鍵をもらいながら「どちらのチームの方が宿泊されてます?」と聞くと、受付の女性があるチームの名前をあげました。やはりハンドのチーム・・・と思いながら背後のエレベーターに乗りこむと、既に中に男性が一人いました。
 「あ、ハンドボールの選手の方ですね?」私が声をかけると、「そうです」と威厳のある答えが返ってきました。
 「熊本の世界選手権でチーム付きのボランティアをやっていたのですよ」と話題をふる私。「そうなんですか」とくるかと思っていたのですが、その方の答えは私の予想を遥かに超えていました。

 「自分、その選手権に出てました」

 「・・・え゛?!」
 私が出した声は、まさにこんな感じ、とにかく絶句です。
 正直に言いますと、私は自分が担当していたチーム以外の情報を集める余裕が全くありませんでした・・・日本チームでさえも。クロアチアチームと同じ宿泊場所(のはず)のフランスとスウェーデンにそれぞれ、リシャーソン選手(どうやって頭を洗ったりセットしたりしているのだろうと思った)とオルソン選手(長髪の美男子で女の子がきゃーきゃー言ってた…気がする)がいるんだ、なんてもので。今思えば本当に自分でも「どないやねん!」っていうくらいの無知さでした。
 昔は今程ネット社会が発達しておらず、情報の源は主に本や雑誌、もしくはその道に精通している人に聞いて得るものだったのです・・・懐かしいですね。

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さて、エレベーターで出会った選手は誰でしょう?
今回はほぼヒントなしなので、難しいですよー。
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2006年04月18日

 It's a small world♪ 2

 「自分、その選手権に出てました」

 「・・・え゛?!」
 私はうろたえていました。エレベーターの中なのに、そこが体育館の裏で、先輩に呼び出された後輩のような気まずい雰囲気・・・。実際は自分が一方的にばつの悪い思いをしていただけですが。
 動揺していて記憶にないのですが、その後、ひとことふたこと会話をしたようなしてないような。上りエレベーターはあっという間に部屋のフロアに到着しましたが、最後にもごもご言った自分の言葉は覚えています。「が、がんばってください。これから応援しま・・・」、「す」を言い終える前に、エレベーターは上へ参りました。

 結局お聞きせぬままでしたが、後日、その方のお名前がわかりました。
 それから数年ひっそりとその方(&所属されるチーム)を応援してきました。とは言うものの、試合に足を運ぶことができなかったので、応援していたとは言えないのかもしれません。「ハンドのシーズン=仕事が多忙な時期」であったこと、仕事を辞めてから応援の機会は1シーズンあったのですが、そのときはハンド観戦に行く気分になれない時期でした。いつかその方の出場する試合を観たいと思いつつ今に至ってしまいましたけれど、ついに来季は観戦に行くことができそうです。
 今は大同特殊鋼さんに肩入れしていますが、その方のチームも応援したいですし・・・。また、他チームの多くの選手の方々のブログを拝見していると、「皆さん、がんばれー!」なんて気持ちになります。これって欲張りなのでしょうか。
 
 さて、肝心のその方のお名前。
 ファンの方々のブログであだ名を知り、納得!微笑んでしまいました。
 威厳と風格のある方(プレーもそんな感じかなと頭に描きつつ、来季を楽しみに待つ私です)。「番長」、いえ、「総番長」というあだ名を持つ、実は優しいパパ。
 
 湧永製薬の山口修選手です。

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 ご当人は覚えていらっしゃらないでしょうね・・・。
 次回は山口選手と同期のクロアチアの選手についてです。
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2006年05月09日

 『欧州選手権2006』にて 5

 以前に記しましたが、チューリッヒの会場では入場前に厳重な荷物検査とボディチェックがありました。2日目はスーツケースだけ手荷物預り所で保管し、前日に預けることになったバックの持ち込みを頼んだところ許可されました。実は1日目、バックの中にプレゼント用にラッピングしてあった日本酒が入っていたので、それが怪しいと思われたのかもしれません。1日目はホテルにチェックインした後だったので、貴重品をセーフティボックスに置いてくることができたのですが、チェックアウト後の2日目は手元において置きたい貴重品が多いこともあり、トートパックをどうしても持ち込みたかったのでした。
 今後、世界選手権などの大きな大会に足を運ばれる方、特に女性は、荷物を少なめにすることをお薦めします。もしくは大きなバックとは別に、貴重品を入れるのに携帯しやすい小さめのバックを持っておいたほうがいいと思います。

 入場するとすぐに、パンフレットを売るボランティアの学生さんが横に一列で待ち構えています。目の前の学生さんと目があって、にっこり笑いかけました。前日買い損ねていたので、「1部くれる?」と話しかけると、見た目にもはっきりわかるほど驚かれました。この人は買わないと思われていたのでしょうね。その驚きようはとても愛らしく「学生さんね?ボランティア?」と聞いてみました。「は、はい。そうです」と英語(スイスはドイツ語・フランス語が主です)で答えた彼は、他の学生さんたちにつつかれて照れくさそうにしていました。
 「いくらかな?」「7.5フランです」と会話をし、「10フランでお釣りあるかしら・・・」と差し出す頃には学生さんたちに囲まれていました。よっぽど売れないのかな、それともやっぱり東洋人が買うのは珍しいのかしらと苦笑しつつ、売れて喜んでいる学生さんたちの姿を見ていて楽しくなりました。みんなで2.5フランのお釣りをくれて、最後は「ありがとうございます!」の大合唱でした。
 
 3位決定戦後ジョンバと落ち合う約束をしていたので彼を探していたのですが、思わぬところでバリッチ選手と会ったり、間違えてボリ選手に声をかけたりと相変わらずのおっちょこちょいぶりを発揮していた私でした。関係者以外立入禁止区域の近辺でボランティアの子に「ジョンバを探しているのだけれど・・・」と名前を告げると、彼はジョンバのファンだと言って、喜んで探すのを手伝ってくれました。とても熱心に探してくれたのですが、帰りの便の都合もあって会場を離れなければならず、そのことを告げると空港までの行き方や所要時間などを教えてくれました。彼に「ジョンバに会ったらよろしく伝えてね」と言うと「僕も会いたいので、絶対に伝えます」と請け合ってくれました。私は前日彼と会って既に話しをしていましたし、後日メールで連絡をとるという手段がありますが、その青年に憧れの選手と話せるといいなという願いを込めて、頼んでおきました。

 心の中に爽やかな風がすっと吹くような、そんな気分にしてくれたボランティアの学生さんたち。本当に微笑ましく、また、どこの世界も変わらぬ何かを見たようで、心が落ち着きました。  
 もう2度と会えることはないのが残念だけれど、忘れがたい出来事をありがとう、と伝えたいです。

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 次回は話題が前後しますが、チェックアウトした後のホテルでの出来事です♪
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2006年05月26日

 『欧州選手権2006』にて 6

 ホテルでチェックアウトをすませた後、振り返る形で入口を見ると、カメラクルーと思しき人たちが3名、バンのタクシーに乗り込むところでした。
 
 そのホテルにはロシアやその他の国の役員らしき人も宿泊していたので「あ!」とスーツケースをひっぱって、「もしかしてスタジアムに行きます?ハンドの?」と聞いてみました。IDを首からぶら下げているので、関係者でいらしたことは間違いないとわかっていたのですが、行き先を確認しました。
 「そうですよー、あなたも?」と聞かれ、肯くと「相乗りしましょう、どうぞどうぞ」と席を空けてくれました。私はそのとき、何を勘違いしたのかスウェーデンのテレビクルーと思い込んでいて、車中ずっとスウェーデンのハンドボール事情を尋ねていました。彼らは細かく答えてくれたのですが、どうも話しが何かとノルウェーにいくのです。ま、まさか、と思って「あのー、どちらからいらっしゃいました?」と聞くと、IDを見せてくれながら、「ノルウェーです」ときっぱり。
 「ご、ごめんなさい!勘違いしてました!」ひたすら謝ると、「あははー。そうだと思ってましたよ、だからノルウェーの話しをしていたんですけど」と笑いながら許して(?)くれました。フォローのつもりでノルウェー語で唯一知っている「スコール」(=「乾杯!」の意)の話しをしたら、今度一緒に飲みに行こうということでした。
 下りるときに2分の1のお金を払おうとすると、「あ、払う必要ないですよ」と言われました。国も間違えちゃったし、お金は払わなくちゃ、じゃあ4分の1・・・と交渉したのですが、「私たちは経費で落ちるから。3名でも4名でも値段変わらないしね」と最後まで受け取らなかったので、じゃあ今度会ったときにお支払いしますから、と伝えました。

 今度、お会いできることは・・・ないと思うのですが・・・世の中は結構広いようで狭いですから、会えないとは言い切れませんね。そう考えると前回のボランティアの学生さんたちとも、いつかチューリッヒの街や日本ですれ違うかもしれません。
 たとえお互いがわからなくても・・・。

<書き忘れていた!の追記>スウェーデンはこの大会(後日記:本戦出場を逃しているので、予選大会という意味だと思います)は若手選手に経験を積ませ、五輪への標準を合わしていた、とクルーの方たちは分析していました。
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2006年06月01日

 It's a small world♪ 3

Keta_2004.JPG 「君がYukiだね?」
 9年前の世界選手権のこと。熊本空港でクロアチアチームを出迎え、全員乗り込んだバスの席に着こうとしたとき、大きな体を曲げて最初に話しかけてきたのがケタ(Goluza Slavko)でした。「Sは友達なんだ、話しを聞いているよ」。Sは私の友人でもあるのですが、私はSにボランティアのことを伝えていない上、Sとケタが友達とは知らず「本当に?!」と絶叫していました。
 実はケタの友人でもある親友に強く薦められてボランティアになり、親友はケタに知らせず、私が後で「実は・・・」と伝えるサプライズ作戦を計画していたのですが、どうも『 私 ← 親友 → C → S → ケタ 』と実に簡単に伝わったようで作戦はおじゃん、私がサプライズという結果になりました。
 
 当時、クロアチアチームには私と同い年の選手が5名いました。ケタはそのひとりです。会う前からお互い名前を知っていたこと、来日後の大会前の練習で彼は手を骨折してしまい病院に連れて行ったり等、一緒に行動する時間が多かったこともあり、ケタとは早い段階で打ち解けていました。ムードメーカーの彼のおかげ、そして皆の人柄もあって、他の選手ともすぐに話せるようになりました。
 昔流行ったと思うのですが、通りがかりに右肩をとんとんと叩き、相手が右を向いている隙に左からすっと行ってしまう、そんなおふざけをケタが私に、その後あらゆる選手が・・・私が忘れた頃にやるのです。やられっぱなしだったので、一度食事に熱心になっているトモ(Tomislav Farkas、彼も同い年)を見て「しめしめ・・・」と右肩をとんとんと叩き、さっと去ろうと・・・する間もなく手を掴まれ、がぶりと噛むふりをされました。皆が言うには私の行動は「ばればれだ」ったそうです。金メダル選手相手に私のフェイントは通じませんでした。
 
 熊本から1年後、親友とスプリットという街を訪問したときのこと。ホテルに着いて駐車場からスーツケースをひっぱっていると、レセプションの大きな窓ガラスをドンドンする音に気付きました。はっと見ると、叩いているのはケタ!ヨバ(Bozidar Jovic、彼も同い年)も!お互いに驚いて「わ〜!久しぶり!」と再会を喜んでいたのですが、ケタもヨバも私もすぐに理解しました、親友の粋な計らいだったのですね。偶然にもRKザグレブ(当時はバデル・ザグレブだったような)はアウェイの試合がスプリットだったので、親友が同じ宿泊先を選んでくれていたのです。

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 この後、また別の偶然が重なるのですが、次回にします♪
(写真はクロアチア協会のもの、下を向いているのがケタです)
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2006年06月02日

 『欧州選手権2006』にて 7

 7というラッキーナンバーで『欧州選手権2006』のお話しを最後とします。
 前回お伝えした通り、今回は最愛の人・・・当然ですが、主人です(きっぱり)。

 9年前、熊本の世界選手権時、私は既に主人と婚約していました(結婚したのはお互いの仕事があってだいぶ後ですが)。先日のお話しで登場したケタや他のクロアチアチームの選手も、主人と会ってはいませんが当初から知っていました。一番仲の良かったマナ(Vladimir Jelcic)は大会中、お財布の中の子供の写真をよく見せてくれたのですが、その度に「早く結婚したほうがいいよー。子供はかわいいよー。」と呟いていました。他の選手は、私が小さなモバイルで某ネットワークに話題を送信していたのを、彼とメールで連絡をとっているものと勘違いし「電話してあげなよ」と。私は大笑いで状況を説明しました。
 
 大会後、クロアチアに行く機会は多く、親友のおかげもあって、皆と割と頻繁に会うことができました。 
 けれども、子供ができるとそれも難しくなり、私自身の中に「子供が3歳になるまで、できる限りそばにいる」という決め事があったので、皆とは「いつか会える」と思いながら6年が経っていました。その間に引退する選手もいたし、コーチになる選手もいたし、別の道に行く選手もいました。

 下の子が3歳になった去年の暮れ。ふと主人に「クロアチアの友達に会いに行かなくていいの?オランダにいるうちに会いにいったら?」と薦められました。
 「欧州選手権にできれば行きたいけれど、下の子は多分私がいないと眠れない。家族で行けばいいかな」と言ったのですが主人は、「子供を連れて行くと、気になって楽しめないと思うよ。しかもスイスは2月相当寒いしね、子供には辛いと思う。面倒見てるから、一人で行っておいで」と言ってくれました。私は遠慮・・・するはずもなく、申し訳ないと思いつつも大喜び!チューリッヒで一人、ハンド三昧の時間を過ごした訳です。8時間、子供に妨げられず眠ることができたのは3年ぶりのことでした。主人に心からの感謝、です。でも、一度行くとまた・・・(今度は世界選手権?)って行きたくなってしまいます。何をするにも、家族の協力って本当に大切だと思います。

 欧州選手権に行ったことがきっかけで私自身に大きな変化がありました。そのひとつはこのブログを始めようと思ったこと。さらにこのブログがきっかけで日本各地、世界各地の方々と知り合えたこと、再会できたこと。本当に嬉しく思います。改めて皆さんに・・・これからもよろしくお願いいたします。
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2006年06月19日

 思い出の体育館@岡崎 前編

 18日、国体予選愛知決勝が行われた、岡崎市立中央総合体育館。
 私にとって非常に思い出深い場所です。「『トヨタ車体』対『大同特殊鋼』」の決勝になった場合、試合開催がその場所と知ったときには「行くしかない!」
 前々からTomoさんの愛知訪問をお聞きし、日程と時間が合えばご一緒に観戦しましょうとお誘い。さらに岡崎には大親友が住んでいることもあり、試合終了後に迎えにきてもらうことになって、待ち遠しい日曜日でした。
 今回は、早々と大同特殊鋼(の方々、ごめんなさい!)ではなくトヨタ車体を応援することに。岡崎の体育館ではトヨタ系の会社を応援することに決めているという、全く個人的理由からです(さらに個人的理由2もありますが、省略)。しかしハンドの「観戦」には、ジンクス持ちの私・・・。

 以前と変わらないホールに入って感慨にふけっていましたが、入口の雰囲気で試合開始されたようだとわかったので、足早に2階応援席へ。前半は車体応援側で立ち見しながら観戦。私は立って見るのが好き、というか、クロアチアの応援に行くと皆が皆立って応援するので、座っていたら見えません。癖になってしまっているのか、私は立っているほうが応援しやすいです。

 休憩中にTomoさんと合流。つい私が質問攻め(悪い癖で・・・)にしてしまっていたのですが、ひとつひとつ丁寧に(ハンド関係の方は皆さん、相手にわかりやすく教えてくれますね、嬉しい限りです♪)答えてくれました。私は頭の中の画像のみで捉えていて、言葉にできない部分がプレーに関しては非常に多いのですが、「ああ!なるほど!」という表現や再認識をいくつも頂きました。この場で改めてTomoさんに感謝します、ありがとう!ございます!

 結果は、先程記したジンクス通り、私が応援したチームが負けました・・・。

 試合終了後にTomoさんとお別れし、お会いしたい選手の方を探していると、ここはスイスか!チューリッヒか! <後が見えていますが、つづく♪>
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2006年06月20日

 思い出の体育館@岡崎 後編

 見事に姜監督と再会(ホールをうろうろするとお会いできる確立、現在2/2)。
 数秒間感激のあまり、すぐ横にいらした清水助監督に気付かず、またもや監督に「しみずさんです」と紹介されてしまった愚か者の私でした。スポーツウェアが似合いすぎの清水さん、以前と雰囲気が全く異なっていたので、選手の方だと思い込んでいました。
 さもすると監督に「ここでプレーを見せてください!」と言いそうになるのをこらえていると、清水さんからスイスでの待ち合わせの話題が出て、慌てて「本当にごめんなさい!」と頭を下げました。「ケンチャナヨ(=気にしないで)」と言って笑顔の監督にどきどき(主人へ・・・すみませぬ)。お二人と会って間もなく、お会いしたかった選手の方を発見。「失礼しますね」、とその場を離れました。

 お会いしたかったのは、辻昇一選手でした。
 日本で活躍する選手の方で、私が最初にコメントを残したのは辻選手のブログ。
 タイトルに使われていた言葉、『熊本にて思う』に引きつけられました。辻さんが話題にされた時期と、私が辻さんのブログを知った時期が重なっただけと言えばそれまでなのですが、私は本当に驚いたものです、9年前のことをこうして書く方がいらっしゃるのだと・・・。
 開口一番に「ごめんなさい!」と私のジンクスについてお伝えしたところ、涼しげに笑っていらした辻選手は、想像していた通りの爽やかな方でした。
   
 最後に、大親友を待っていたときの微笑ましい出来事を記します。
 大同特殊鋼の選手の方々が入口付近で応援団や家族の方々と一緒にいらっしゃいました。女子高校生のハンドボール部の女の子たちは、遠巻きに見ながら、恥ずかしそうに少しずつ近づいていたのですが、そんな彼女達に気付いた応援団や父兄の方が会話の中に入りやすいように気遣われ、選手へのサインを頼みやすくしてあげていました。サインをもらって嬉しさのあまり言葉がでない女の子もいる中、父兄の方自らが写真撮ってあげたり、選手の方は気さくに声をかけてあげたり・・・。選手の方々が去ると緊張の解けた女の子たちが「きゃ〜!!」と叫びながら体育館に入っていき、その一連の出来事を応援団の方は楽しそうに見守っていました。そして最後に「そんなに嬉しいこと(なのか?のような疑問符でひとりごと)・・・そうなんだろうなあ」と、皆さん笑顔で帰路につかれました。
 素敵な方たち。まんぼうさん主催のベストサポーターに選ばれたことに大納得。
 女の子たちは会場に戻って、きっと同級生達に喜びをわけていたことでしょう♪

<大事なこと書き忘れの追記>トヨタ車体・大同特殊鋼の選手、スタッフ、応援団の方々、会場にいた高校生、大学生・・・皆さんに、お疲れさまでした!
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2006年07月02日

 ドーピング検査の四方山話

 今日7月1日、全日本女子の方々はアジア選手権のために中国に向けて出発。
 選手の皆さんのご健闘を心より、お祈りいたします。

 また先日29日に全日本男子の方々は紋別へ向けて出発。その前日にメディカルチェックがあったようですね。国立スポーツ科学センターでだったかしら。
 そのときに行われたドーピング検査のことをブログで話題にされていた選手の方もいらっしゃいました。つられて私もこの話題について書きます。

 以前、2種の競技で4選手のドーピング検査に遭遇したことがあります。
 うち1名はあっという間に終了。
 ある1名はなかなか難しく、どのくらい時間がかかるかわからなかったので、先にチームは会場を後にしました。彼女がホテルに戻ってくるまで心配だったので、同室の選手の子に部屋で待たせてもらっていたのですが、帰ってきた彼女は上機嫌でした。「ビールを飲んだの」と言って嬉しそう。「おかげで、終ったよ〜」・・・もしかしたら、少し酔っていたかも。
 さらに1名、この選手はチームの出発に間に合うくらいの時間で無事終了。

 そしてもう1名、試合直後にお手洗いに行ってしまった選手。チームがバスに乗り込んで出発を待つ状態になったので、私が検査室に確認しに行くと、「うーん、無理だね」と。バスに戻り、チームには私が残って一緒に帰ることを伝え、先に出発してもらいました。検査室(体育館の医務室に設けられていた記憶があります)に入るのはためらわれたので外で待っていると、彼が呼びにきて「部屋で待っていなよ」と言いました。医務検査室には担当の方も待機しています。しばし話しをしていましたが、次の試合のスコアを彼に報告するため、医務検査室とコートの廊下を行ったり来たり。そうこうするうちに前半終了。試合を見てから帰ると言っていたチームスタッフの人と話しをしていたら、彼が「終ったよ〜」とやってきました。結局、彼とスタッフと私の3人でタクシーに乗って帰るということになりました。
 帰路、彼ら二人から「Yukiはチームで誰が一番好み?」という鋭いつっこみ。  
 「あはは、みんな好みだよー」
 「うそだ、誰が一番か言いなさい」
 「みんな」
 「我々の間では○○だという噂だよ」
 「!!! そんな話しするの?!」
 「そりゃ、するさ〜」
 「・・・ハンドのこととか、次の試合のこと、考えたりしないの?」
 「四六時中ハンドのことばかり考えたり、話したりしているわけじゃないしね」
 「そうなんだあ」
 「・・・で、誰が好みなの?やっぱり○○?」
 「恋愛に関心があるのは世界共通なんだねぇ」
 「話しを変えるな、Yuki!」
 
 元の話題から随分それてしまいましたね。
 ドーピングのことから、タクシーの会話まで思い出しました。あの頃の思い出は、何かひとつがきっかけで引っ張った小さな白糸が他の色とりどりの糸を巻きつけてくるように、ひとつまたひとつ思い出され・・・いつの間にか目を細めています。
 あの頃・・・言うまでもなく、熊本で世界選手権が行われた9年前のことです。

<追記>私は医務室(もしくは待機室?)に入室しましたが、実際に検査する場所に立ち入っていないはずです。選手と私が二人きりになることもありませんでした。検査室に立ち入ることは五輪では固く禁じられています。
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2006年09月01日

 For Myself 1

 欧州選手権から帰って来たスキポール空港の出口。迎えにきているはずの主人と子供の姿はなかった。30分待ち、自宅に電話をしても誰も出ない。1時間経ち、かけてもらった空港内放送にも反応はなし。その間、私は身も凍る思いをして待っていた。2日間、自分は本当に楽しい時間を過ごしてきた分、家族と離れた申し訳なさが募る。まさか、事故でも起きたのではないか・・・迎えにくる途中で何かあったらとしたら・・・恐いことしか思い浮かばなかった。空港の職員の方が心配して、大丈夫ですか?きっと来ますよ、心配しないでと話しかけてくれる言葉に肯くのが精一杯だった。
 1時間半が経過して、職員の人は自宅にもう一度電話してみましょうと言ってくれた。番号を告げて間もなく、マイクの近くにある電話から主人の声が聞こえた。
 「あ、そろそろ出ようかなって思っていたところだよ」落ち着くまで時間がかかったが、「どうしてさっき電話に出なかったの?」と思いついた質問をした。お風呂に入っていたから、と笑う主人。20時着と夜10時着を間違えていたようだった。私は、子供達が湯冷めすると風邪ひいちゃう、自分で帰れるから、と伝えて電話をきり、職員の人たちにお礼を告げてからライデン行きの電車のホームへ向かった。


 帰る途中、ずっと考えていた。きっと、これも半分ずつ、与えられたことなのだろう、いいこともと悪いこと常に半分・・・。

 

 私は幸せな人生を送っている人間だと思う。でもその幸せは、出会った全ての人たちから、得られたもの。
 クロアチアの選手たちが私に優しく接してくれたのも、私がチーム付きだったから、という理由だけではない。試合のあった会場でクロアチア国旗を持って応援してくれたある村の方々や子供達、裏で支えてくれた会場の人々の温かさ、できうる限りのもてなしをしてくださった宿泊ホテルの方々、サポートしてくれた友好協会の方々、街中ですれ違う人、行きつけのお店の人たちの親切さ、出会う人全てが・・・皆に優しかったのだ。選手やスタッフの皆が、日本は、熊本はいいところだね、といつも言ってくれていた。彼らのそういう日本への、熊本への印象が身近にいた私に注がれたのだと思う。最後の最後まで、日本のことを悪く言う人は一人もいなかった。

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2006年11月18日

 It's a small world♪ 4

bird.bmp 前回の3でケタのことを綴りましたが、私は彼と同じ歳で、1と2で綴った山口修選手とは同学年、つまり3人同期です。
 
 今年2月にスイスで行われた欧州選手権でケタは選手登録をしていましたが、「本格的にトレーナーの勉強をしているんだ」(クロアチアでトレーナーはコーチや監督のこと)と話してくれました。彼が間もなく選手生活にピリオドをうつとわかり、言葉につまっていた私に「(トレーナーの勉強は)充実しているよ」と笑いかけた彼。私が抱いたもの寂しさを一瞬で拭い去るような笑顔でした。選手としてではなくてもハンドボールに携わっていくことを心から楽しんでいるのだと、私に思わせてくれました。
 現在彼はアシスタントトレーナーとしてナショナルチームの名簿に載っています。いつか彼がナショナルチームを率いる日がくるのかもしれません。
 
 ケタを思い出すと、山口選手のことが時に思い出されます。二人が同じ歳で、熊本がキーワード、そして何より「ずっと応援していたいと思う選手」という共通点。それは選手でなくなったとしても、ハンドに関わっている限り変わらない思いです。
 エレベーターでの出逢い以来、山口選手の活躍と湧永製薬の試合結果だけはチェックしていました。それ以外は正直、クロアチアハンドだけでしたが・・・。
 
 先日ある方の優しい心遣いから、山口選手とお話しすることができました。
 9年前のエレベーターの出逢いを伝えたところ、「あ、頭のどこかにひっかかっているような・・・」と!(覚えてくださっていたようです♪)
 「まだまだ頑張りますんで」微笑みながら立ち上がった山口選手に、9年前と同じ言葉をかけていました。「応援しています」・・・影でチームを支えている番長も男前です、うん。  
 
(写真はmamamiさんのブログにも登場した迷えるハンド好き・・・お菓子好きの雀。mamamiさんとは惜しくもニアミスしたようです、次回に期待♪)
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2006年12月25日

 オランダのクリスマス

 Merry Merry Christmas!
 先程子供たちの枕元にプレゼントを置いてきました。窓際にぶら下げている名前入りの靴下の中にも小さなものを入れておいたのですが、私の靴下の中にとても嬉しい&笑えるものが入っていました。何だったのか、時間差で(写真を撮った後)記します♪

 そういえば12月に入ってからはたくさんの方のブログでクリスマスの話題を拝見しました。浅井選手は(以前のブログの方にですが)超素敵なろうそくのお店の写真などなど、植松選手のブログではアベント・カレンダーについて、吉田選手のブログでは数回に渡ってエストニアの家庭のクリスマスが伺える話題が、綴られています。欧州の方でもその国々によって様々な風習があるようで、ほぉほぉと頷いておりました。

 オランダは12月5日がクリスマス、『シント・ニコラウス(聖ニコラス)』の誕生日。このシント・ニコラウスのお話しがアメリカに渡ってサンタクロースになったらしいとのことです。上の子の親友の母親であり私にとっても大切な友人(オランダ人)のアダが説明してくれたのですが、「良く言えば様々な文化に寛容なオランダ・・・悪く言えば何もかもミックスしすぎなのだけど(苦笑いしてました)、12月5日がオランダ古来からのクリスマス、25日はアメリカや諸外国から取り入れたクリスマスって感じなの。メインというか、ご存知の通り、国中で大々的にお祝いするのは5日よ」
 「25日は?」という私の質問には「親は2回もプレゼントを用意するのは大変だから一般的には5日にお祝いして終わりってところが多いと思う。25日の過ごし方は人それぞれね。うちは普通の一日と変わらないかな」ということでした。オランダ政府観光局のホームページにも詳しく記してあります(こちら)。
 5日ということにも驚いたのですが、一番の衝撃はプレゼントを入れてもらうのに用意するのが靴下ではなく靴だということでした!11月になってまもなく、上の子が通った小学校から「シンタクロース用に飾る靴持ってきてくださいねー」と言われて「えっ、靴??!」、一瞬聞き間違えたと思いました。「はい、片方だけでいいですからね」と先生がごく普通に言ったので「・・・靴なのか」と。ところ変われば・・・面白いなあって思ったものでした。
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2007年01月31日

 Forget Me Not #1

 約1年前、チューリッヒ、Hallenstadion。
 
 フランス戦が終わった。会場の熱気がなかなか冷めないので、席から動かずぼぉっとしていた。しばらくして我に返ると、自然に売店に向かおうと足が動いていた。のどがからからで飲み物が必要だった。売店?それともみんなに会いに下へ行く?
 入口に近い売店の列に並びかけたら、すぐ横に東洋の男性がいた。今まで誰一人東洋人を見かけておらず、好奇の目にさらされていた私は、目が合った瞬間に思わず声をかけた、「日本の方ですか?」と日本語で。
 「I am from Korea」、男性はそう答え、日本の友人がホールにいるからご紹介しましょう、と微笑んだ。変な言い方だが人見知りせず、相手にも気を使わせない雰囲気の方で、応援するチームが負けた試合後のもやもやが消え去るような安心感を抱いた私は、その人の後についていった。誰かと話したかったのかもしれない。
 ハンドボールの関係の方ですか?ええ、自分は日本で大同特殊鋼の監督をしています。やっぱり!会場の方があなたに手をふったり、挨拶するのは何故?以前スイスの・・・(後でわかった、ヴィンタートゥーア)でプレーしていたことがあるんだよ。
 会話をしながら歩いていた先で、監督と私に気づいた男性が通路に降りてきた。
 監督はその男性、清水助監督を紹介してくれて、じゃあと去っていった。私は自己紹介をし、清水さんはここで観戦するに至るまでの簡単な説明をしてくれた。今月末に男子はアジア選手権があること、世界選手権出場の予選を兼ねていること、なども教えてくれた。ここ5・6年は日本のハンドボールから(湧永の結果を追う以外)離れていたので、そういった情報を聞くことは私にとって新鮮だった。
 いつの間にか次の試合の余興が始まって、私は清水さんに挨拶し、自分の席に戻ろうと歩き始めた。が、歩みを変えて、選手・関係者のいる方へ向かった。やっぱりクロアチアチームの選手たちに会いたかった。宿舎へも行くつもりだったが、今会いたいと思ったのは、清水さんと日本語で話しをすることができ、自分の気持ちに余裕ができたからなのだろう。
 
 立入禁止地域に近いところで、クロアチアのGKコーチを見かけた。彼とは熊本から会っていない。でもクロアチア語しか話さないことは覚えていたので「Hello, kako si?」と声をかけると、「Kumamoto・・・Yukiだね?」とコーチは声をあげ、私を立入禁止区域内に招きいれた。
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2007年02月01日

 Forget Me Not #2

 ロッカールームの前に来ると立ち止まる癖がある。熊本のことを思い出すからだ。記者会見に指名された選手を呼びにいき、ドアをノックすると「入っておいで」という誰かの声がする。そうして中に入ると、たいていみんな着替え終わっていなくて、バスタオルひとつ巻いてうろうろしていたり、上半身裸だったりした。「あの・・・入ってよくないんじゃないかと思うのだけれど・・・」私が言うと「全く問題なし」といつも決まった答えが返ってきた。そのうち私は外から「○○〜、記者会見だよ〜」と叫ぶようになったが「中に入っておいで〜」との繰り返しだった。ロッカールームの中でみんなを直視しないようにおろおろしている姿が、きっとおかしかったのだと思う。
 GKコーチがロッカールームのドアを開けながら、「日本からのお客さんが来てる。熊本の選手権のときのyukiだよ」らしきことを言った。中に入ると、まっすぐ見た先にバリッチ選手がいた。聡明な目をした青年で、目が合うとにこりとした。私も微笑み返し、周りを見回すとさらに2名の選手とメトリチッチ選手が一番近くにいた。彼の愛称「ペロ!」を叫ぶと、周りの選手が笑って「ひゅーひゅー」とはやしたてた。私が彼の愛称を叫んだことが意外だったのだろう。ペロは昔と変わらない笑顔で恥ずかしそうに右手を出し、彼の顔を寄せた。「Kako si?」「Dobro, a ti?」「Dobro」「ジョンバとはもう会った?」「まだよ」「見つけたら、yukiが来てるって伝えるよ」「チームの出発が近いと思うからバスの前で待っているね」、ペロに告げて私は裏口へと向かった。
 裏口へ行く途中、スマイラギッチコーチと会った。通称ピペ、彼はドイツ語とクロアチア語を話す。私のつたないクロアチア語で少し会話をしながら出口まで来た。出口を出ると目の前にバスが待機している。バスの近くでピペと他の選手を待っていると、出口付近から「Yuki!」という叫び声、ケタ(スラブコ・ゴルジャ)だった。彼は会うと私のことを抱きかかえる、昔と同じだ。「どうしてここに?!」と聞かれ、「試合を観に来た!」「今は何をしているの?」「オランダにいるの」・・・マイナス7度近い冷気の中で、白い息をさせながら会えなかった数年の話しをした。「ジョンバにまだ会っていないのよ」と言うと、ケタは屋内の方を向きながら「すぐ来ると思うよ」と笑った。
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2007年02月02日

 Forget Me Not #3

 ケタがそう言った数秒後に彼がドアを開けた。「ジョンバ!」、声をあげるとこっちを向いて手を広げた。それは昔と同じ合図だった・・・彼と、熊本に来ていたゴランは、久しぶりに会うとそうやって手を広げ、私を子供のように抱き上げてくるくるまわす。6年も経っていて、正直、会うことに不安がなかったわけではない。彼らはあのザグレブでの悲劇的な試合から這い上がってアテネで金メダルを手にしていたし、ジョンバとペロ、ヴェニオはスペインのトップチームで活躍している。覚えていてくれているという確信はあったけれど、昔とは違うのだろうという気持ちがどこかにあった。
 「Yuki!」ジョンバの声が耳の近くから聞こえていた。「いつ来たの?今?試合は観た?」「今日の午前に。試合は観ていたよ」「ごめん、いい試合じゃなくて」「観れただけで十分よ。足は大丈夫?」「うん、ちょっとね。これはいつものだから。これからの予定は?話したいことがあるけれど・・・あ、ちょっと待ってて」そう言うと彼は、警備員の出入口と門の狭い隙間から叫んでいるサポーターらしき人のところに小走りで行った。何かお礼を言っているようだった。少し足をひきづるかのような歩き方で彼は戻ってきた。
 「ごめんごめん。そうそうYukiはチームの宿泊先、知ってるよね?」「うん。今の試合が終わったら人と会う予定だけれど、その後ホテルに行くね」「携帯持ってる?」「ごめん、持ってないの」「どこに泊まってる?」「駅の前の・・・。あ、忘れるといけないから今のうちにメールアドレス教えておいてくれる?」「あー何回も変更したから・・・メール、送ってくれてた?」「あはは、大丈夫」私は自分の宿泊するホテルの電話番号を伝え、ホテルでチェックインしたときにもらったカードキー入れの紙にジョンバがメールアドレスを書き留めた。左手できれいな字を書くことを思い出し、「そう、左利きなんだよね」と言うと「うん・・・寒くて上手く書けないな」って笑う彼は、6年前と全然変わらないように思えた。
 チームの全員がバスに乗り込んだので、「ヴェニオと会っていないの。多分バスの反対側に乗車してると思う。彼にホテルで会おうねって伝えてくれる?」「OK、時間がなくてごめん。じゃあすぐに」彼はそう言うとバスに乗り込み、私は出発するバスを見送った。窓際にヴォリ選手の姿を見つけ、自然と頭を下げていた。日本人の癖だった。

 試合終了後、清水さんと監督と会う約束をしていたのでダッシュで出口に向かったが、待ち人は来たらずだった。待ち合わせ場所をお互い勘違いしていたのかもしれない。手荷物ロッカーがある方の出口と話していたのだが、2つある出口には両方共ロッカーがあった。20分は同じ場所から動かなかったが、その後は2つの出口を行ったり来たり・・・そして、この選手権で唯一嫌な思いをしたハプニングが起こった。
posted by yuki at 08:55| Comment(0) | TrackBack(0) | Memoirs | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月03日

 Forget Me Not #4

 突然、後ろから肩をつかまれた。振り返るとクロアチア語で「中国人か?」と聞いてくる。相手の顔を見ながら「日本人よ」とクロアチア語で答えたが、酔っているのはすぐにわかった。肩をつかまれた時点で好意的でないことは感じ取れたし、クロアチア人は急増する中国人移民に対して警戒心を持っていることを長束さんから聞いていた。返答したにも関わらず「中国人だろ、ちょっとこっちに来い。話しがある」と引っ張ろうとする。彼の背後10メートル先にいる警備員を確認し、「違うわ、失礼します」と言いながら手を振り払って歩き始めた。数歩進んだところで私の右肩から何かが飛んできた。欧州選手権の無料パンフレットだった。自分に当たっていたら警備員に事情を話しに行くところだが、ここは無視することにした。清水さんと監督には悪いけれど30分以上経っているし、これ以上ここにいて変なトラブルに巻き込まれたくはなかったから、クロアチアチームの滞在先に向かうことに決めた。
 トラム乗り場に行くと、切符を買うための小銭がなく再びホールに戻ることになったが、その頃にはほとんどの人がいなくなっていた。両替に困っていた私だったが、スイスの人たちの暖かさに触れ、嫌な出来事も払拭されていた。
 
 クロアチアチームの宿泊地へは、トラムと電車とバスを乗り継いだ。それぞれ長い時間がかかるわけではなく40分程でホテルの前のバス停に着いた。レセプションまで50メートルくらいの距離をひたすら歩いていると、ホテルに向かうピペとペハレッツ氏(ドクター)の姿が見えた。ペハレッツ氏は親友とも親しい間柄だったので、熊本でもよく話しをしたし、その後も何度も顔を合わせた。「久しぶりだね、相変わらず世界が狭いね」と右手を出して話しかけてきた。「いいえ、クロアチアとクロアチアとクロアチアにしか行っていませんよ、ここはスイスだけど」と握手をしながら笑って答えた。
 3人で一緒に入口を通り、奥に進んだ。バーとカフェを兼ねたお店と、テーブル席に座っている男性が同時に見えた。その人が誰かはすぐにわかった。ピペは彼と同じテーブルにつくと、ペハレッツ氏は私が座れるように椅子をひき、私は「Hvara」と言いながら腰を掛けた。右隣に座るその男性はショラ選手だった。
 ペハレッツ氏に英語で「ショラ選手と会うのは初めてなんです」、そう話したらピペが理解したようだった。「あれ?会ったことなかったっけ?」クロアチア語でショラさんと私に問いかけて、お互い顔を見合わせ「Ne」と答えた。「Drago mije(初めまして)」、そう言うと、「クロアチア語を話すの?」と聞いてきた。話すのはほんの少しだけ、話していることは何となくわかるような感じです。私の答えにソラさんはふむという表情をして2人に話し始めた。その前に「クロアチア語で失礼するよ」と私に言う心遣いを、彼は忘れなかった。
posted by yuki at 00:21| Comment(4) | TrackBack(0) | Memoirs | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月17日

 Forget Me Not #5

 ソラさんがピペとペハレッツ氏に話し始め、少ししてからウェイターが注文を取りに来た。ソラさんが「何がいい?」とこちらを向いた。欧州の方と同席のときは最初にカプチーノと決めているので、それを頼んだ。飲み物がきてからペハレッツ氏とピペが私のことをソラさんに話し始めた。いつも通り、親友の名前が出てくる。ソラさんは、親友と親友のご主人のことを当然なのだが知っていて、しばらくは親友夫婦と私の話しになった。
 「今から選手のケアがあるから」そう言ってドクターは席を立ちながら「会えて嬉しいよ。夕食はどうするのかい?」と気遣ってくれた。「ここにレストランがあるならば、そちらで食べます」と答えると、3人が「チームが食事する場所はイタリアンだけど、そこで食べていったら?」と薦めてくれた。頷きながら「では後でお会いできますね」と私も立ち上がった。日本人らしい振る舞いを喜んでくださる方だったので、深々とお辞儀するとペハレッツ氏も同じように頭を下げ、「さよなら」と言って上に向かった。
 それからのソラさんとピペの話しの内容は、大まかに理解しながら聞いていた。
 ピペは元々口数が少ない人で、相手の話しを黙って聞き、ところどころで相槌をうったり静かに自分の意見を伝えるタイプ。けれど、その日はソラさんの話しを聞きながら、ピペが熱心に話すことも多かった。

 初対面のソラさんの表情は、大事な試合に負けた後の親友に似た・・・いや、そういうときの彼女よりもずっとずっと疲れた表情をしていて、誰かと・・・2人と話しをしたいのだと、すぐに察した。ピペとドクターにお会いしてここに誘っていただいたけれど、私は自分の存在を気にせず話して欲しかった。
 カプチーノは、ゆっくり時間をかけて飲むことができる。スプーンで泡をすくったり、砂糖を混ぜたり、砂糖のなくなった紙袋で星型を作ったり。冷めてもまずくない(欧州ではコーヒーよりエスプレッソが主流で、量が少なくダブルでもすぐ飲みきってしまう。しかも冷めるとおいしくない)。自分の存在を消しやすい飲み物でもある。何もせずじっとしていると、同席の方に気を遣われることになるし、かといって思いっきり話しを聞いていますっていう風を装うわけにもいかない。ときどきカップにふれる行為が、会話している人々に気を遣わせないことになると、以前の仕事でわかった。
 カプチーノを飲み終えて間もなく、ピペと目が合った。彼はウィンクをしながら立ち上がって、クロアチア語で「夕食の前に一旦部屋に戻るよ」と。“え?え?ピペ、行かないでー!”内心思っていたけれど、ソラさんが「飲み物、何がいい?」と聞いてくれたので、安心して2杯めにエスプレッソを頼んだ。
posted by yuki at 21:36| Comment(0) | TrackBack(0) | Memoirs | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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