2006年09月11日

 Ground Zero

 September 11, 2001 
 Ground Zero、CNNで何度も何度も耳にすることになったこの言葉。
 
 英語に携わる身でありながら、私はこの言葉の持つ意味をあの日までは中途半端に理解していたように思う。被爆や被災によって建物が破壊されたために高さが0になってしまった地域、という意味合いでの最も被害のひどい中心部、と私は以前から思っていたのだが、Ground Zeroは被爆地・被災地の中心(0地点でそこから〜mという計測上)の意味合いだった。9/11の場合は言うまでもなく、World Trade Center のことで、広島や長崎の場合は原爆投下地点のことになる。

 この日、速報で1機めが建物に衝突する映像をテレビで見た。LIVE中継になったのか、映像が変わったとほぼ同時に2機めが衝突した。何が何だかわからなかった。
 NYにいる友人や、NYではないけれども留学時代の親友や友人のこと、誰よりもアメリカに住んでいる肉親が心配でたまらなかった。3機めが別の場所で事故にあったらしきこと、その飛行機の便名を聞いて「まさか乗っていないよね」という不安がよぎった。よく知った地名だったからだ。すぐに電話をしても全く通じなかったが、あちらが先手をうってメールを送ってくれていたので無事を確認できた。
 
 でも・・・その後に聞く、数限りない悲報・・・増え続ける犠牲者の数・・・。
 さらに2次・3次の犠牲者が発生する悲劇・・・。

 宗教の争いだけではないのも、何もかもを簡単に片付けられないのもわかっている。だけれど、キリストもマホメットもこんなことを望んで教えを広めたとはとても思えない、そんな気持ちだけが空回りしていた。
 
 私にはイスラム教徒の友人がいる。
 強くて優しい、友人であることを誇れる人。私は彼がとても好きだし、彼が信じる宗教なのだから、素晴らしいものなのだと思ってもいる。実際私が彼と親しくなったのは、彼がイスラム教徒だったからという点が大きかったのだ。優しい彼のことだから、この事件で辛い思いをしているように感じて切なくなった。
 
 あれから5年・・・。争いは常にどこにでもあって、小さなものであったり、大きなものであったり、その度にどこかで誰かが苦しんでしまう。失くすことはできないとわかっているけれど、せめてそれが人の命を奪うことのないものであって欲しい。
posted by yuki at 09:03| Comment(2) | TrackBack(1) | My Personal Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
yukiさんこんにちは。こちらこそトラックバックありがとうございました。冷静に考えれば「信じているものが違うだけ」なんですよね。お互いがお互いの信ずるものを心から尊重出来ていれば、911はなかったのかなとも思います。しかし現実はそれほど単純ではなく、もっと複雑なんですよね。そして歴史もある。そう考えれば火種は無数にあるのかもしれません…でも、それでも人間はそんなに捨てたモンじゃないと考えたいです。だからこそ忘れるわけにはいかない1日なのかもしれませんね。
Posted by NAVE at 2006年09月12日 13:29
 NAVEさん、こんにちは。
 ええ・・・テロという行為自体は絶対に許すことのできないもの
だけれど、そこに至るまでの歴史上の火種が無数にあって・・・
本当に単純ではないものなのですね。人の命を奪うということ
以外の解決方法を探していって欲しいし、そうしなければ
いけない・・・NAVEさんのおっしゃるように絶対に繰り返しては
いけないし、忘れてはいけない1日だと思います。
Posted by yuki at 2006年09月12日 18:31
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/23586678
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック

あの時自分は…
Excerpt: NAVEです。あれから5年。振り返れば覚えているようで、覚えていない。 あの時…2001年9月11日(火)夜10時を回ろうとしていた。いつものようにニュースを見ようとしていた。その事態に気付いた..
Weblog: 「ラジオバカイチダイ」
Tracked: 2006-09-12 00:16
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。