2007年10月01日

 海外移籍選手・女性

 現時点で存じている日本から海外に移籍された女性選手は以下の9名の方々です。

  • ノルウェー・エリートリーグ : 結果はこちら 
      山田永子選手(Bækkelaget)


  • オランダ・2部 : 結果はこちらの左欄[Eerste divisie heren]

  •   浅井友可里選手・中村尚美選手(UDSV)

  • ドイツ・1部 : 結果はこちらの左欄[Resultate]
      田中麻美選手(Buxtehuder SV)
     
  • ドイツ・3部 : 結果はこちら
      内林絵美選手・谷口尚代選手(Riesa)
      
  • スペイン・1部 : 結果はこちらの左欄[Clasification]

  •   小松真理子選手(PROMOCIONES PARAISO, CASTRO URDIALES)
      早船愛子選手(VICAR GOYA JARQUIL)

  • スペイン・2部

  •   金城晶子選手(Malaga)
    posted by yuki at 23:16| Comment(2) | TrackBack(0) | Handball - EU Results | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年10月02日

     海外移籍選手・男性

     現時点で存じている日本から海外に移籍された男性選手は以下の10名の方々です。

  • エストニア1部 : 結果はこちら 
      吉田耕平選手(Chocolate Boys)

  • ドイツ2部 : 結果はこちら
      植松伸之介選手(Aue)
  •   河田浩貴選手(Delitzsch・1軍)
     
  • ドイツ3部・南部 : 結果はこちら
      櫛田亮介選手(Pirna)

  • ドイツ4部  : 結果はこちら
  •   仲井友崇選手(SG Leutershausen)

  • ドイツ4部・ザクセン地方 : 結果はこちら
      赤塚孝治選手(Delitzsch・2軍)
      石黒将之選手・松本賢選手(SC DHfK)
  •   田内壮一郎選手(Zwonitz HSV)

  • スペイン4部
      大城章選手(OAR Gracia)
  • posted by yuki at 15:24| Comment(0) | TrackBack(0) | Handball - EU Results | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年10月05日

     ハンドボール用語の英語表記

     欧州ハンドボール連盟主催のチャンピオンズリーグの記事を私の独断と偏見で少しずつ紹介していますが、翻訳文の中に参照として記すべきと思われる点がいくつかあります。今後のために、既に出てきている事柄を記しておきたいと思います。

    @ 日本語では一般的な「後半5分に・・・」という表現、英語では "In the 35th minutes..." のような形で記事に記されます。トータルの競技時間で表すの(当然ですが、30を超えていたら後半)ですね。記録の場合は"45:18"で、「後半15分18秒」に、という意味です。

    A 日本語の『ポスト』、英語では"pivot"(=ピボット)です。
     
    B 日本語の『マッチ・バイザー』(これがどうしてもしっくりきません)は、英語の"TD"(=テクニカル・デリゲーツ)で世界で一般的に使われています。

    C 時折、記事に使われる"KO-System"。まだ浸透していないせいか、大抵は注釈で説明が記してあります。ホーム&アウェイによる2試合の総合得点で勝敗を決める方式のことです。

       = 今後も更新していきます =
    posted by yuki at 00:42| Comment(2) | TrackBack(0) | Something Good | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年10月06日

     EHF-CL 07/08 カラバティッチ選手の負傷について 1/2

     昨シーズンのチャンピオンズリーグ王者・キールに所属のカラバティッチ選手が負傷。
     チャンピオンズリーグのグループ・マッチ、9月29日に行われた対モンペリエ戦でのこと。後半5分、モンペリエ所属・チュニジア出身のテイ選手と接触。

     「両足をつかんで、床に落とした*。許しがたいね」 (="床にたたきつけた"のような意)

    と、彼は怒りをあらわにしている。また、その試合後、モンペリエの選手たちが彼に伝えた「故意じゃないから・・・」という言葉にも憤りを覚えた。

     「それが真実じゃないってことは、彼ら(=モンペリエの選手たち)がよくわかっているのだから。彼がとんでもない奴だってことは誰もが知ってることだよ、これについては断言できるね。こういうこと(=故意のファウル)で有名な選手なのさ」

     負傷は肩。手術は免れたものの、治療に5-6週、最悪の場合2ヶ月の見解。
     カラバティッチ選手はキールの主力選手だが、フランスナショナルチームにも所属し、1月には欧州選手権も控えている身である。

     ニコラ・カラバティッチ(通称:ニコ)は、1984年セルビア生まれ。
     彼の父は旧ユーゴのナショナルチームの一員。彼の生まれた年はフランスのストラスブルク所属。その当時はフランスと旧ユーゴを行き来していたが、1988年にフランスに移住。05年にキールに移籍する以前、プロとして始めた01/02シーズンから03/04シーズンまで、モンペリエに所属していた。

     <補足> 今回は複数の記事から私が独自にまとめました。次回はカラバティッチ選手負傷後のキールの動向について記します。
    posted by yuki at 09:37| Comment(6) | TrackBack(0) | EHF Champions League | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年10月07日

     EHF-CL 07/08 カラバティッチ選手の負傷について 2/2

     カラバティッチ選手と同じポジションのイチャ選手(チェコ出身)も現在故障を抱えており、彼の負傷によりキールは厳しい状況に直面したが、シウダー・レアル所属のアレス・パヨビッチ選手(スロヴェニア出身)を一時的に借り入れる運びとなった。スペインにおける国外出身選手の規定により、シウダー・レアルのドイシェバエフ監督は開幕以来パヨビッチ選手を起用できずにいた。助っ人として彼は、キールにとってまさにうってつけの人材だったと言えよう。
     
     パヨビッチ選手の契約は、カラバティッチ選手とイチャ選手の復帰の目処が立っている11月まで。ブンデスリーガとジャーマン・カップのみに出場する。チャンピオンズ・リーグでは、ドイツとスペインはライバル関係にあるので、彼の出場を認めないことで両チームは合意に達した。

     カラバテッィチ選手の接触事故に関して、欧州ハンドボール連盟は、今回特別な措置(相手選手に対する処罰)を行わないことを明らかにしている。

    <補足> 今回の記事も独自にまとめたものです。日を追って、アレス・パヨビッチ選手についての記事を載せる予定です。・・・すみません、諸々の事情により、パヨビッチ選手の記事は載せません(10月11日追記)。
    posted by yuki at 00:14| Comment(4) | TrackBack(0) | EHF Champions League | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年10月11日

     Giving Away My Secrets To ... #1

     「ただいま!すぐ着替えてくる!」

     高校から帰宅した私は、居間にいた母と姉に声をかけた。

     今日は外食をするって言ってたっけ。自分の部屋に向かおうとした、
    そのとき、母と姉が顔を見合わせて、何かを言おうとした。

     「うん?どしたの?」

     「・・・落ち着いて、聞いてね。Aちゃんが、亡くなったと連絡がきたの」
     
     私の表情が凍りついたのを感じた母は、先の言葉を言わなかった。
     姉が、続けて静かに言った。

     「自転車通学してたの、知ってたでしょ?
      昨日、学校帰りにね、駅前の大通りで追い越し合いをしていた2台の車がいて、
      その1台がAちゃんをはねたの・・・お通夜が明日、告別式は明後日だって」



     
     「・・・着替えてくる」

     ひとことだけ、搾り出すように言った。
     車で待ってるから、母の声を背中に聞きながら居間を出た。
     涙がどんどんと溢れてきた。

     Aちゃん、ごめん。本当にごめん。
     私のせい?私のせいかもしれない・・・

     Aちゃんは小学生のときの親友だった。
     私たちが住む地域は新しい住宅街で、二人とも3年のときに引っ越してきた。
     クラスは違うけれど、近くに住んでるから自然と仲良しになった。
     4年生のとき、一緒にミニバスを始めた。
     左利きのAちゃんは5年生で唯一人、6年生に交じってスタメンになった。
     5年生の終わりには次期キャプテンに任命された。その数日後だったと思う、
    こんな会話をした。

     「パパとママは塾通いできなくなるから、バスケを止めたほうがいいって言うの。
      ゆきちゃん・・・お願い。説得してくれる?今度ね、コンサート一緒に行くでしょう?
      そのときに話して欲しいんだ。どんなことでもいい、ゆきちゃんが思ってること」
      
     「私が思ってること?」

     「うん。バスケット、続けられるように。何でもいいから・・・」

     「わかった。上手く伝えられるかわからないけど、話してみるね」

     コンサートはその前の日にAちゃんから誘われた。お兄ちゃんが行けなくなった
    から、代わりに一緒に行こうって。クラシックのコンサートはかっこいい感じがして
    「うん、うん、ありがとー」ってすぐに答えたっけ。うまく話せるかはわかんないけど
    Aちゃんがバスケ大好きなのはすごくわかるし・・・キャプテンいなくなったら困るし。

     その当日。コンサートを見終わったあと、お寿司屋さんに連れていってくれた。
     おじさんがマグロのトロを私のために頼んでくれた。実は今まで食わず嫌いして
    食べなかったけれど、断れなくて、食べてみたら超おいしかった。そうか、こんなに
    おいしいものを、私はずっと、お姉ちゃんとお母さんに譲っていたとは・・・。今まで
    なんて惜しいことをしていたんだろう!!
     ・・・余計なことを考えていたら、Aちゃんが目配せしていた。

     「あの・・・Aちゃん、今度ミニバスのキャプテンになるんですよ〜。
      Aちゃん、同じ学年の子の中ではずば抜けてうまいんです」

     おじさんは、私のほうを見て訊いた。

     「そんなにうまいのかい?」

     「はい!左利きだし・・・右手も使えるから両手利きです。両手を同じように
      使えるなんて、他の子、絶対できないです。すごいんですよー。
      Aちゃん以外のキャプテンなんて考えられないし・・・先生も今年こそは
      初めて県大会行けるかもって、張り切ってるんですよー」

     実際、Aちゃんのプレーはすごかった。両手を自在に操るので、取りに行こうと
    しても、反対の手に変えられてしまう。ディフェンスでこっちが隙を見せるとターン
    で、すぐに抜かれてしまう。両手利きの上に機敏だし、ロングシュートもうてた。

     おじさんは満足そうに笑っていた。

     何となく、ばればれな作戦だったような気がする。でも、数日後、Aちゃんが
    パパとママから、塾通いしながら、バスケも続けていいって言ってもらえたと、
    喜んで私に報告してくれた。

     そして、ずっとずっと後々まで私の心に残る言葉を言った。

     「ありがとね、バスケ続けられるよ!県大会、絶対行こうね!!」 
    posted by yuki at 21:30| Memoirs | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年10月12日

     Giving Away My Secrets To ... #2

     Aちゃんが説得を私に頼んだのには、親友である以上の理由があった。
     中学にいる、ある人・・・Tさんのことを私がよく知っていたからだ。
     
     Tさんは小6のとき、ミニバス・クラブのキャプテンだった。
     運動神経万能で、頭も良かった。性格がさっぱりしていて、公明正大な人だった。
    男女問わず皆に好かれていた。

     Tさんが中学に入るとき、Tさんのお母さんは体育系の部活動に入ることを良しと
    しなかった。Tさんが頭のいい人だったことも、関係していたのかもしれない。
     お母さんが止めさせたい理由は単純、勉強第一という、固定概念からだった。
     小学校でミニバスをしているときからずっと、中学ではさせないから、思う存分、
    小学校のときにやっておきなさい、と言い続けていた。Tさんもずっと「いい子」であり
    続けてきた人だから、逆らうことはなかった、逆らえなかったのかもしれない。

     中学のバスケ部顧問が誘い続けたけれど、Tさんは頷かなかった・・・でもそれには
    無理があって・・・いわゆる反抗期を迎えたとき、Tさんは以前と全く変わってしまった。
    勉強もしなくなった。言葉も態度も荒れた。明るさが影を潜めて、何を考えているのか
    全くわからない人になっていた。

     Aちゃんも、そのことを知っていた。
     無理に止めさせるなんて・・・と、Tさんのことで、私が思っていることも知っていた。

     小6の夏、私たちは、クラブができてから初めての県大会出場を決めた。
     その瞬間、絶対泣きそうにないバスケの先生が泣いていて、私たちも大泣きした。

     中学でAちゃんは塾をやめ、3年までは塾通いせず、バスケを続けた。
     Aちゃんほどずば抜けて上手くなかった私は、中学ではバスケ以外の違う部活に
    入った。小学校の親友とは中学で同じクラスになることが一度もなく、いつの間にか
    Aちゃんには彼もできていて、一緒に帰ることがなくなってしまった。距離は少しずつ
    離れてしまったけれど、バスケ部の活躍を聞くたびにすごく嬉しかった。

     その後、Aちゃんは、全国レベルで強豪の高校に入学した。自転車で通うには少し
    遠いけれど、電車だとその倍以上かかる学校だから、トレーニングも兼ねて自転車
    通いをしてるって言ってた・・・

     まだ、高校2年生の・・・春、だった。

     お通夜と告別式に出席したとき、彼の姿を見かけた。彼は誰かが支えていないと
    立っていられない状態で・・・そこにいた誰もの涙を誘った。

     「桜の花が散るように・・・16年の短い年月で、あっという間に去っていきました・・・」

     私は・・・おじさんのお別れの言葉に、涙が止まらず、はらはらと散っている花びら
    をずっとずっと食い入るように見つめていた・・・桜の中を走る彼女の姿を浮かべて。
    posted by yuki at 07:59| Memoirs | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年10月13日

     Giving Away My Secrets To ... #3

     Aちゃんが亡くなってから数日後、中学のときのバスケ部で3年のときクラス
    が同じだったえりちゃんと話しをした。小5終わりの出来事を思い出すと、自分
    を責めずにはいられない、あのときAちゃんがバスケを続けていなかったらと
    思うと・・・ぼんやりと言葉を繋げる私に、えりちゃんは、こう答えた。

     「男バスのキャプテンだったKと話しをしたばっかりだけど、Kも自分のことを
    責めてるよ。Aちゃんね、最近、Kに相談したみたい。あの学校って全国レベル
    でしょ。Aちゃんはずっと一番だったけど、高校入ってから自分より上手い子が
    たくさんいるじゃない。かなり悩んでたみたい、バスケ続けるかどうか。・・・Kは
    あと少し頑張ってみたらって言ったんだって。だから・・・」

     その先の言葉は言わなくてもわかった。

     本当は、自分もわかっていた。
     人と人はみんな、あらゆるところで繋がっていて・・・誰もが、誰かにどこかで
    関わってる。過去あったことは今に結びついているけれど、でもその瞬間は全て
    は当人のものだったのだということ。もしも、あの道をAちゃんが通らなかったら。
    追い越し合いなんか、する車がいなかったら・・・。

     Kくんも私も、自分を責める必要はないのだろう。

     責めを負う人間が、もしいるのだとしたら、追い越し合いをしていた、あの瞬間
    にAちゃんに関わった人たちなのだ・・・。

     Kくんに電話をしようか迷ったけれど、かけなかった。
     Kくんもどこかでわかっているように思う、いつか、自分を責めることはなくなる
    だろう。でも、そうやって自分を責めている間は、Aちゃんのことを忘れることは
    ない。私は自分を責めて、Aちゃんを忘れないようにしているのかもしれない。

     でも、いつか、Aちゃんのことを思い出して泣く毎日は、なくなるだろう。
     Aちゃんのことを忘れてしまう日がくるのかもしれない。
     けれどせめて・・・1年に一回は思い出すようにしよう。

     そう、桜の季節に・・・。

     Aちゃんのことを思い出しても涙を流さなくなったのは、命日からひと月以上を
    過ぎてから、春から夏に季節が向かう、新緑の眩しい時期になった頃・・・

     私は、Nくんに出会った。
    posted by yuki at 21:25| Memoirs | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年10月14日

     Giving Away My Secrets To ... #4

     Nくんとは、あるきっかけで知り合った。

     お互いのことをよく知らないまま、話していくうちに、信じられない偶然に驚いた。
     友達が、私の留学を話題にしたときだった。
     隣に座っていたNくんは、「え?留学するの?どこに?」と聞いてきた。
     「アメリカ」
     「アメリカのどこ?」
     「ペンシルヴェニア州」
     「ペンシルヴェニアのどこ?」
     州の名前まで答えると、それ以上を聞かれることは今までになかった。少し驚き
    ながらも小さな街の名前は知らないだろうと思い、「フィラデルフィアの近く」という
    答え方をした。私にも明らかにわかるくらい表情を変えた彼は再び訊ねてきた。

     「街の名前は?」

     躊躇しながら街の名前を告げると、彼は周りが驚くような声で叫んだ。

     「昔住んでたとこだよ!」

     彼は小学校6年のとき、お父さんの仕事の都合で、私が3ヶ月後に留学する予定
    のアメリカの街に住んでいた人だった。しかも彼のお兄さんは当時高校生で、私が
    留学する予定の学校に通っていたのだそうだ。後日、彼が街の地図を見せてくれた
    のだが、彼の住んでいた家と私のホームステイ先は車で数分の距離で、その近さ
    を知ったときにはお互い顔を見合わせて驚いたのだった。
     
     その縁から、Nくんとは留学するまでの3ヶ月、時間があるときに会って話しをした。
     本当にたくさんの話しを・・・。
     
     彼は県内一の進学校に通っていて、非常に頭のいい人だった。
     と同時に、サッカーもすごく上手な人だった。彼は口数の多い人ではないけれど、
    サッカーの話しになると違う・・・それがわかったので、サッカーを始めた年齢から
    きっかけ、今までにあった彼とサッカーの関わり、全てを聞き出した。
     小学6年の初め、彼がアメリカに行く前は、県選抜のキャプテンに選ばれていた。
     私たちの県はサッカーが強いので知られていて、ジュニアも全国指折りの強さだ。
    中学でも県選抜に選ばれていたらしい。選抜の友達の数名は地元私立の超有名校
    にサッカー推薦で入学した、ということも話してくれた。学力的に全く問題ないNくん
    にも、推薦はきていたらしい。

     けれども・・・大学進学有名校とサッカー有名校ならば・・・誰もが前者を選ぶ。

     とにかく勉強すること、いい大学に入ること・・・それらが自分のすべきことだと思い
    込んでいたのか、思い込まされていたのか、わからない。偏差値重視・学力重視の
    そんな時代に、私たちは10代を過ごしていた。

     Jリーグ発足は、あと数年・・・先のことだった。
    posted by yuki at 00:50| Memoirs | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年10月15日

     Giving Away My Secrets To ... #5

     Nくんがしてくれたたくさんの話し・・・その中でも一番興味深かったのは、彼のサッカー
    と、私の留学に関係してくる、アメリカのスポーツ環境の話題だった。

     Nくんが得た経験で知っている、アメリカと日本の違い。

      日本で言う部活動、のようなシステムではないこと
      地域のクラブチームがあること
      クラブにも学校にも、ジムやウエイトトレーニングする場所があること
      狭すぎる日本と違って、広大な土地のアメリカには、地平線が見えるくらい広々と
     したスポーツ公園の中に、サッカーグラウンドがあったこと・・・

     彼を頭のいい人だと思ったのは、話しがとてもわかりやすかったことが第一だったが、
    彼の主観を省いて、客観的に話してくれたことにも感心した。私に先入観を持たせない
    ような説明の仕方だった。自分の感情を出すのが苦手なのだということも、話しながら
    少しずつわかっていたし、彼はストレートな表現はしなかったものの、その言葉の中に
    「自分の目で見ておいで」という温かさがあるように、私は感じた。

     彼の話してくれたひとつひとつのことを、向こうで、自分の目で見ることになった。
     
     友達作りも兼ねて、学校のスポーツ活動(部活動)に参加した。秋はクロスカントリー
    (自然の中を走る長距離種目)、冬はインドア・トラック(屋内陸上)、春はトラック競技
    のマネージャーとして。

     渡米後すぐに参加したクロスカントリーでは言葉が一番の問題だったので、先生の
    後にくっついて何をするべきかを覚えた。飲み物や薬箱の用意と、タイムを取ることが
    主な仕事として慣れてきた頃、シーズンが終わった。打ち上げのとき、つたない英語で

     「英語がまだよくわかってなくて、何もできなかったけれど、みんな、親切にしてくれて、
      ありがとう。みんなが言う“ありがとう”は、ただひとつ、わかる言葉だったの」

    と告げた。クロスカントリーに参加したほとんどの子が冬はインドア・トラックに入る予定
    になっていて、インドア・トラックでもマネージャーになりなよ、と言ってくれた。私は快く
    「もちろん、OKだよ!」と引き受けた。Nくんの言葉を思い出しながら。

     「自分は人見知りするというか、積極的に話していける子じゃなかった。相手の言って
      ることはわかっていたけど、必要以上に話すことはしなかった。それは少し後悔して
      いるんだ。○○(私の旧姓)さんがあっちに行って、すぐは難しいかもしれないけれど、
      自分から話そうとすることは大事だから・・・相手も、わかろうとしてくれる。今思うと、
      みんな、自分から話しかけていくのを、待ってくれていた気がする・・・」

     サッカー以外の話しは自分から多くを語ろうとしなかった彼だけど、大事なことは私に
    伝えてくれていた。言葉が少ない分、ひとつひとつに重みがあったその会話のほとんど
    を、私は覚えている。忘れないように何度も繰り返し、頭の中にリプレイさせていたから
    ・・・今もこれからも、決して忘れることはない。

     冬になり、インドア・トラックのシーズンになると、全てがどんどん楽しくなっていった。
     学校の生活にも慣れてきて、少しずつ言葉もわかってきて、たくさん友達も増えて。

     もう一人いた日本人留学生のMasaがインドア・トラックに参加したことも心強かった。
     彼は私より4ヶ月早く留学していて、英語がかなり上達していた。みんなの前で日本語
    を話さないって協定が二人の間にあったけれど、困ったときには必ず助けてくれた。
     Masaは変な日本語を私に隠れてインドア・トラックのみんなに教えていて、覚えた子
    たちは通じるかどうか、私に試してきた。それがとってもおかしくて・・・Masaの心遣いが
    本当に嬉しかった。

     インドアのマネージャーの仕事の中に、中距離・長距離走のラップタイムを記録する
    ことがあった。私がノートに1周ごとの時間を計算して記録しているのを見たKennyが
    驚いて言った。「え?電卓使わないで、計算したの?」、10進法ではなく60進法の暗算
    をしたのが不思議だったようだ。
     私が、うん、と答えると、彼は他の子や先生にそれを伝えた。先生が電卓もなく、頭の
    中で計算してるのか、と聞くので、はい、と、その場で全てのラップタイムを書き記した。
    先生は、今までの人生でこんなに褒められたことはないぞ、というくらいみんなの前で
    褒めてくれて、私はかなり照れてしまった。
     「Masaもできますよー」と話すと、彼は「俺は中距離走るから、疲れて計算できない。
    Yukiよろしくー」と、みんなを笑わせていた。後で「暗算ができるのは、日本人の誇れる
    ことだよな」と話してくれた。

     Masaが言う「日本人の誇れること」、ひとつでも多く見出せたら、嬉しいかも・・・
     もっともっとみんなの役に立てるかも・・・自信がもてるかも・・・

     そういう思いは、それまでに抱いたことはなかった。
     でもNくんが話してくれたことの中に、少し関係があるように思える言葉が、あった。

     「あっちに行ったら、あちらのいいところがわかる。日本のいいところもわかる。
      日本にいたら、わからないこと・・・行ってみないと、わからないことだよ」
    posted by yuki at 00:00| Memoirs | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年10月16日

     Giving Away My Secrets To ... #6

     留学前に話しをしていた頃。
     感情をあまり表に出さないNくんだったけれど、ひとりだけ・・・その子の話しをする
    ときだけは何かが違うと感じた。

     ギルと呼んでいた、韓国出身のサッカー少年。

     同じ地域のクラブチームで共に1年を過ごしたというその少年を、Nくんはすごい
    個人技を持つと表現していた。Nくん自身は周りを見てプレーメイクしていくタイプと
    わかったけれど、ギルは彼とは正反対の、一人で突破するタイプだったらしい。
     ギルの話しは何度も出てきて、私のことを手紙に書いて送る、と言っていた。Nくん
    は他の友人にも手紙を書いてくれていて、渡米後すぐに話しかけてくれた子もいた。
    他にも彼を覚えている子は結構いて、なかなか話しができない状態でありながらも、
    友達がすぐにできたのは、本当にありがたかった。

     学校に慣れた頃、私はギルを探し始めたが、彼はここにはいなかった

     ・・・ブラジルに行っていた。

     Nくんは日本に帰国してからもギルと手紙をやりとりしていたので、彼がその後中学
    に入ってから、サッカーのためにブラジルへ行ったことを知っていた。Nくんのサッカー
    友達(県選抜のメンバー)がブラジルに短期留学したときに、ギルと同じクラブになった
    ことを話してくれたことがあって、私との出会いもそうだけれど「世界は広いようで狭い」
    と語っていた。でも、その話題は数年も前のこと・・・ギルが半年程前に再びブラジルへ
    向かったことを、Nくんは知らなかったようだ。

     留学前から知っていたギルには絶対に会いたかったし、Nくんの話しぶりから、彼の
    プレーに関心を持ってもいた。Nくんがサッカーで褒めたのは、彼だけだったから。
     サッカーは秋のシーズンスポーツ。学校に入ってすぐにプレーを見ることができると
    楽しみにしていたのに、彼の姿はグラウンドになく、サッカー部の子が「ギルがいない
    から今年は辛いな」って話しているのを耳にした。

     季節がめぐり、秋から冬に向かうある日。

     シーズンの境目で放課後に部活動がない私は、すぐにバスで帰るべきか、図書室で
    少し勉強しようか迷っていたら、私のほうに向かって歩いてくる東洋系の女の子と目が
    合った。

     「Yukiよね?私はRan、ギルの友達よ。彼があなたのことを探してるわ」
     
     私には晴天の霹靂で、「え?ブラジルに行ったって・・・」と答えた。

     「戻ってきたの。彼、あなたのことを探してる。ランチの時間は何限目?」
     「今期は4限目なの」
     「わかった、ギルに伝えるね。
      彼はまだ授業の登録が終わってないから、融通が利くの。
      近いうちに話しかけてくると思う、アジアン同士だからわかるわよね?」

    と、にっこり笑った。Ranは私が理解できるように、ゆっくりと丁寧な英語で話してくれた。
    聞き取りに苦労している私をよくわかってくれていた。

     「ありがと、Ran」 
     「どういたしまして。あ、Songも私の友達よ。またね!」

     Songは微分・積分のクラスで私の隣の席に座っている美人の韓国人。
     Nくんの話しで、サッカーをやっていた、と言うと、「あ!あの超上手かった子ね!」と
    すぐに思い出してくれた。多分小学校で同じ授業を受けたと思う、とも言っていた。

     図書室へ行くのを止め、帰宅を決めた。
     Nくんに手紙を書く、そして今日中に郵便局へ行って送る・・・速達で。
     スクールバスに乗りながら、ノートに思うままに綴り始めた。
     いつもは便箋に書くけど、今回はこのまま破って送ることにした。

     “ギルがアメリカに戻ってきたそうです。
      この手紙が日本に着く頃には、私はもうギルと会っていると思います・・・”
    posted by yuki at 06:56| Memoirs | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年10月17日

     Giving Away My Secrets To ... #7

     日本にいるNくんは、サッカー中心の生活を送っていた。

     彼の通う学校は文武両立を掲げていて、随分と前になるけれど全国高校サッカー選手権
    で数回優勝している。今はNくんの友人が推薦で入った私立の名門校が全国大会の常連で
    有名だけれど、彼は本気で国立競技場を目指していた。全てをサッカーにかけている・・・
    こちらから送って早くて5日、だいたい平均1週間、返事が戻ってくるのに同じ時間がかかり、
    月に多くて2回の手紙のやりとりだけれど、サッカーを中心の生活は十分にわかっていた。
     彼の友達から送られてくる手紙の中にも、今はサッカーしか考えていないみたいだ、部も
    よくまとまっているみたいだよ、って書いてあった。3年生引退後、彼はキャプテンになって
    いた。

     将来の夢を聞いたとき、Nくんはしばらく考えて、言葉を選びながらゆっくりと答えた。

     「どんな形でも、サッカーに関わっていたらいいと思う」

     彼は私に同じ質問を訊ねた。私はある職業の名前を言った。
     すぐに答えなかった彼は、ひとことだけ、「かなうといいね」と言って、静かに笑った。
     Nくんはどこまでも落ち着いていて、私よりも大人だった。ずっと、大人だった。




     Ranと会った次の日。4時限目のカフェテリアでそれらしい人を見かけることはなかった。
     まだ少し先のことなのかなって思い、来週を待つことにした。その日は金曜日だった。

     週明けの月曜日はいつも慌しく過ぎていく。
     3限の英語の授業で頭を使いすぎ、ぼぉーっとしながら、私はカフェテリアにたどり着いた。
    いつも無意識に足を運ぶ席に進み始めて、ふとまっすぐ歩いた。視界の中に、見かけたこと
    がないアジア系の男の子がブロンドの男の子に声をかけられ、横を向く姿をとらえたからだ。

     挨拶をすませてこちらを向いた彼と、私が歩み寄ったのが同時で、同時に話しかけた。

     「Hi・・・ギル?」「Hi!・・・Yuki?」 

     正直に言うと、彼は、英語で言う"cute"な子・・・「かなり」cuteな子だった。
     彼の容姿と出会ってすぐの笑顔・・・いずれも私の想定外、許容範囲を超えていて、動揺を
    隠せずに何を話そうか考えていた。が、先に話しかけたのは彼だった。

     「ランチ食べよう。それとも何か持ってきてる?」

     首を振ると、「ピザでいい?」と言い、私が頷くのを見ながら売り場へと促した。
     彼は私を前に通して「どれが好み?」と訊いてくれた。ピザは、注文するときに売り場の人に
    声をかけなくちゃいけなくて、慣れない私はセルフで頼む場所へ行ったことがなかった。いつも
    自分で取れるサンドイッチか、家から何か持ってきていたけれど、ギルが私に声をかけながら、
    「彼女にあれ」って店員に説明してくれて、初めてカフェテリアのピザにありつけることになった。
    それから私は、彼が自分のものを頼むときに使った表現をしっかりと覚えた。自分一人で頼め
    るように、後日のために。

     いつも一緒に食事をしているクロスカントリーの友達に、「今日は彼と食べるね、ごめんね」、
    と伝えた。アリソンは「ホームワークやりながら食べるから、気にしないで。昼食楽しんで!」
    と言ってくれた。彼女は普通の速さで私に話すけれど、わかりやすい単語を使ってくれる。
     ギルと私はカフェテリアの空いている席を見つけ、向かい合って座り改めて自己紹介をした。

     「初めまして、Yukiです」
     「初めまして、ギルです」

     私を安心させるために同じ言葉を使っていると、すぐにわかった。

     「あまり、うまく話せないの、英語・・・」
     「自分もだから、問題なしだよ」

     彼は笑い、Y(Nくんの名前)から手紙がきた、君のことが書いてあった、と話してくれた。
     ゆっくり話す子、簡単な言葉を使う子、色々な心遣いを受けたけれど、ギルはその両方の
    心遣いで話してくれた。とてもわかりやすい英語だった。

     「Yは元気?」
     「手紙では元気だって。サッカーオンリーみたい」
     「あはは、昔と同じだな。でもYは頭いいから、そこが俺と違う。
      自分はサッカーやってばかりで、学校にきちんと通ってない。
      ・・・ところで、Yukiは、Yのガールフレンドなの?」 

    と、からかい気味に笑った。私もつられて笑って、考えながら、答えた。

     「特別なガールフレンドではありません。ひとりの友達です」
     「うん、そっか・・・わかった。
      Yの手紙を読んだとき、最初Yukiは男かと思ったんだ。
      Yが、女の子のことを話題にしたこと、一度もなかったからね。
      でも"She"って書いてあったから、女の子だってわかった。
      ちょっと気になって質問してみたんだ、ごめんよ」

     「No problem」と笑って答えながら、Nくんとギルの違いに驚いていた。

     サッカー好きなのは、よくわかる
     でも、ふたりとも、全然違う・・・

     4時限目にはこれから毎日ギルに会える・・・学校生活が一段と楽しくなりそうだった。
    posted by yuki at 00:09| Memoirs | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年10月18日

     Giving Away My Secrets To ... #8

     4時限目のランチタイム。
     ギルとすれ違う場所はいつも決まっていた。多分彼はPE(体育の授業)だったのか、
    体育館の方から入ってきていた。私は逆側からで、最初に出会ったときと同じように
    視界に入ってくる。
     
     ギルはすれ違うとき、「こんにちはーゆきさん」と言ったり、お辞儀をして「こんにちは」
    と丁寧に言ったり、「お元気ですか?」などなど・・・何年も前だけど、多分Nくんが教えた
    言葉なんだろうなって思わず微笑んでしまうような、日本語の数々を私に使った。

     彼にはたくさんの友達がいた。席が同じときもあれば、違うときもあった。
     あの子と食べたり、この子と食べたり、会話も楽しそうな様子で、ときどき目が合うと、
    頷いてにっこりしていた。
     休み時間の移動中は、英語で"Take it easy, Yuki!"とすれ違いざまに言った。
    私が答える間もなく、彼はさぁっと小走りに去っていく、そんな状況だった。

     その当時の私は、言葉が出そうででなかった。
     考えないと話せない・・・頭の中に日本語があって、それらを英語に組み換える作業
    をしないと、口に出すことができなかった。
     今まで留学を経験した多くの人は、その変換作業が急に日本語なしでできるように
    なる、突然そういう日がくると言ってたけれど、私にはまだまだ日本語が残っていた。

     ギルが戻ってきて4週目、彼の姿を見かけなくなった。
     1週間来なかったのは、さすがに心配になって、どうしたのかなって思っていたら、
    金曜の放課後に彼の姿を見つけた。インドア・トラックの練習は筋トレの日で、ジムに
    向かおうとしていた途中の正面玄関前、だった。私は外に出ようとしてるギルに声を
    かけた。
     
     「ギル、元気にしてる?風邪ひいたと思ったよ、心配したー」
     「ちがうちがう。ちょっと用事が色々とあってね。
      ありがと。これから帰るの?」
     「ううん。ジム。インドアのマネージャーやってるから」
     「そうか、そうか」

     話しながら、私も外に出ていた。ジムは屋内のもっと先なのだけれど、着替える必要
    がない私は時間がまだあった。ギルが聞いてきた。

     「学校、好き?」
     「うーん、そうね。好き、かな」
     「ゆきもYみたいに、勉強できそうだもんな」
     「Yみたいに、じゃないな。彼は頭良すぎ。
      私はここでは、他の勉強よりもとにかく英語を話せるようになりたいけど・・・」
     「ちゃんと話してるよ」

     そうだね、確かにギルの前ではね。
     ギルの前では間違えようが何だろうが、あんまり気にしないで話せる安心感があった。
    時間をかけて考えながらも、言いたいことが伝わったし会話になった。そういう人は他に
    ごく数人しかいなかった。

     冬になりかけの屋外は少し寒かった。
     立ち話しの途中、ギルが何か言いかけて、やめた。
     私が首をかしげたけれど、彼は首を横にふって「いや、なんでもない」と言う。少し気に
    なったけれど、時間も迫っていたので、

     「ジムに行くね。あ、そうだ・・・大会とか、サッカーの、ある?」
     「うん?」
     「あったら、教えて欲しいの。ギルのサッカーしてるの見たいんだ」
     「あ・・・OK。今度の試合、あるときに教えるよ」
     「ありがとー、じゃあまたね」

     1週間後、私はこの会話を思い出すことになった。
     それからずっと、何度も何度も・・・このときの会話を思い出すことになった。
     寒い外気に肩を少しすぼめていたギル、微積の重い教科書を両手で抱えていた私。

     世界は広いようで狭い、のでなく、「世界は狭い」

     ギルにはこの言葉がふさわしかった。
    posted by yuki at 23:53| Memoirs | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年10月19日

     Holland Handbal Toernooi 2007

     オランダカップ(Holland Handbal Toernooi:略してHHT)に関する
    URLは以下の通りです。全日本女子の選手の皆さん、Good luck!!

    <会場>
    http://www.topsportcentrum.nl/


    <試合予定>
    http://www.nhv.nl/content.php/NL/783

    <オンライン・ライブ・・・オランダの試合のみ?>
    http://nhv.sport2media.com/index.php?item=home

     肝心の試合結果を知ることができるURLが見つからないのですが、日本協会
    のホームページから、結果と選評を知ることができます(こちら)。
    posted by yuki at 00:35| Handball - Japan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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