2006年06月01日

 It's a small world♪ 3

Keta_2004.JPG 「君がYukiだね?」
 9年前の世界選手権のこと。熊本空港でクロアチアチームを出迎え、全員乗り込んだバスの席に着こうとしたとき、大きな体を曲げて最初に話しかけてきたのがケタ(Goluza Slavko)でした。「Sは友達なんだ、話しを聞いているよ」。Sは私の友人でもあるのですが、私はSにボランティアのことを伝えていない上、Sとケタが友達とは知らず「本当に?!」と絶叫していました。
 実はケタの友人でもある親友に強く薦められてボランティアになり、親友はケタに知らせず、私が後で「実は・・・」と伝えるサプライズ作戦を計画していたのですが、どうも『 私 ← 親友 → C → S → ケタ 』と実に簡単に伝わったようで作戦はおじゃん、私がサプライズという結果になりました。
 
 当時、クロアチアチームには私と同い年の選手が5名いました。ケタはそのひとりです。会う前からお互い名前を知っていたこと、来日後の大会前の練習で彼は手を骨折してしまい病院に連れて行ったり等、一緒に行動する時間が多かったこともあり、ケタとは早い段階で打ち解けていました。ムードメーカーの彼のおかげ、そして皆の人柄もあって、他の選手ともすぐに話せるようになりました。
 昔流行ったと思うのですが、通りがかりに右肩をとんとんと叩き、相手が右を向いている隙に左からすっと行ってしまう、そんなおふざけをケタが私に、その後あらゆる選手が・・・私が忘れた頃にやるのです。やられっぱなしだったので、一度食事に熱心になっているトモ(Tomislav Farkas、彼も同い年)を見て「しめしめ・・・」と右肩をとんとんと叩き、さっと去ろうと・・・する間もなく手を掴まれ、がぶりと噛むふりをされました。皆が言うには私の行動は「ばればれだ」ったそうです。金メダル選手相手に私のフェイントは通じませんでした。
 
 熊本から1年後、親友とスプリットという街を訪問したときのこと。ホテルに着いて駐車場からスーツケースをひっぱっていると、レセプションの大きな窓ガラスをドンドンする音に気付きました。はっと見ると、叩いているのはケタ!ヨバ(Bozidar Jovic、彼も同い年)も!お互いに驚いて「わ〜!久しぶり!」と再会を喜んでいたのですが、ケタもヨバも私もすぐに理解しました、親友の粋な計らいだったのですね。偶然にもRKザグレブ(当時はバデル・ザグレブだったような)はアウェイの試合がスプリットだったので、親友が同じ宿泊先を選んでくれていたのです。

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 この後、また別の偶然が重なるのですが、次回にします♪
(写真はクロアチア協会のもの、下を向いているのがケタです)
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2006年06月02日

 『欧州選手権2006』にて 7

 7というラッキーナンバーで『欧州選手権2006』のお話しを最後とします。
 前回お伝えした通り、今回は最愛の人・・・当然ですが、主人です(きっぱり)。

 9年前、熊本の世界選手権時、私は既に主人と婚約していました(結婚したのはお互いの仕事があってだいぶ後ですが)。先日のお話しで登場したケタや他のクロアチアチームの選手も、主人と会ってはいませんが当初から知っていました。一番仲の良かったマナ(Vladimir Jelcic)は大会中、お財布の中の子供の写真をよく見せてくれたのですが、その度に「早く結婚したほうがいいよー。子供はかわいいよー。」と呟いていました。他の選手は、私が小さなモバイルで某ネットワークに話題を送信していたのを、彼とメールで連絡をとっているものと勘違いし「電話してあげなよ」と。私は大笑いで状況を説明しました。
 
 大会後、クロアチアに行く機会は多く、親友のおかげもあって、皆と割と頻繁に会うことができました。 
 けれども、子供ができるとそれも難しくなり、私自身の中に「子供が3歳になるまで、できる限りそばにいる」という決め事があったので、皆とは「いつか会える」と思いながら6年が経っていました。その間に引退する選手もいたし、コーチになる選手もいたし、別の道に行く選手もいました。

 下の子が3歳になった去年の暮れ。ふと主人に「クロアチアの友達に会いに行かなくていいの?オランダにいるうちに会いにいったら?」と薦められました。
 「欧州選手権にできれば行きたいけれど、下の子は多分私がいないと眠れない。家族で行けばいいかな」と言ったのですが主人は、「子供を連れて行くと、気になって楽しめないと思うよ。しかもスイスは2月相当寒いしね、子供には辛いと思う。面倒見てるから、一人で行っておいで」と言ってくれました。私は遠慮・・・するはずもなく、申し訳ないと思いつつも大喜び!チューリッヒで一人、ハンド三昧の時間を過ごした訳です。8時間、子供に妨げられず眠ることができたのは3年ぶりのことでした。主人に心からの感謝、です。でも、一度行くとまた・・・(今度は世界選手権?)って行きたくなってしまいます。何をするにも、家族の協力って本当に大切だと思います。

 欧州選手権に行ったことがきっかけで私自身に大きな変化がありました。そのひとつはこのブログを始めようと思ったこと。さらにこのブログがきっかけで日本各地、世界各地の方々と知り合えたこと、再会できたこと。本当に嬉しく思います。改めて皆さんに・・・これからもよろしくお願いいたします。
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2006年06月04日

 欧州組の試合結果 05/06-14

<6月3日の試合結果・ドイツブンデスリーガ>
 仲井選手のチーム デュッセルドルフ 23−25 プフリンゲン
 (18チーム中14位)

<6月3日の試合結果・ドイツブンデスリーガ>
 植松・河田両選手のチーム デーリッチュ 26−36 フレンスブルグ
 (18チーム中18位) 

 6月3日はPCが使えない環境で、デーリッチュの結果が気になりつつも、リアルタイムでスコアを追うことができませんでした。最終節を終えたブンデスリーガの上位5チームは以下の通りです。

1 Kiel ・・・たなかぁさん、おめでとう!
2 Flensburg-Handewitt ・・・おめでとう、私!?
3 Gummersbach
4 Magdeburg
5 Lemgo

 またスペインリーグも最終節を終えました。上位3チームは以下の通りです。

1 F.C. Barcelona-Cifec ・・・以前パコ(=Patrik Cavar)いたチーム
2 BM. Ciudad Real ・・・ジョンバとペーターがいます
3 Portland San Antonio ・・・バリッチ選手がいます

 これからはビーチハンドのシーズンですね!この話題は近いうちに改めて♪
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2006年06月07日

 新緑の頃・続き 1

 (5月17日 9時15分記す)

 祖母が亡くなった。享年91歳。
 
 深夜2時過ぎだっただろうか、子供の寝返りで目が覚めて、それから明け方7時過ぎまで眠れなかった。少しうとうとしたが8時には目覚ましで再び目が覚め、8時半過ぎに父からの電話があった。
 
 訃報を聞いて電話をきった後、「おばあちゃん、おつかれさま・・・」と呟いていた。涙をこらえることができたのは、子供の存在のおかげだった。泣かずに「おおおばあちゃんが、てんごくにいったよ」と伝える必要があった。
 
 ゴールデンウィークに祖母に会ったとき、覚悟するようにと告げられていた。
 あれから10日・・・「生と死」について考え続けてきたが、そのことを書き記す前に、別れの準備をしなくてはならない。
 今はただ、祖母のために、そして自分のために、今日のことをここに書いておこうと思う。そして何日が経ったときに、私が思い巡らせてきたことを記していきたいと思う。
 
 私を、そして私の子供たちを、本当に本当に可愛がってくれた祖母に・・・
 
 おつかれさま・・・。ありがとう、待っていてくれて、本当に本当にありがとう。
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2006年06月08日

 新緑の頃・続き 2

 (5月21日・昨日遅く、祖母の見送りから帰宅)

 渡蘭前、挨拶に行った時、祖母は「帰ってくるのを、元気に待ってなくちゃね」と笑って言っていた。当時から入院してはいたものの健康状態は良かった。オランダにいる間、絶えず祖母の様子を聞いていたが、3月末、そう、帰国寸前まで元気だったのだ。「もうすぐ帰ってくるね、会えるね」と言っていると聞いていた。

 帰国して間もなく母の手術があり、帰国後の忙しさと遠方であることからゴールデンウィークに訪問することを決めていた。が、訪問前に体調が急に悪くなってきたことを知らされた。

 5月3日、私が病院を訪れたとき、祖母は酸素吸入器をしていた。今日からつけていること、いつ何が起こるかわからないこと、を聞かされる。
 けれど、握った手には力があったし、私が「おばあちゃん、戻ってきたよ、オランダから帰ったよ」と言うと、「ゆきちゃん、いてるの?」と途切れ途切れだけれど、何回も繰り返して言った。私は「うん、もどったよー。オランダいいところだったよー」と答えた。祖母は吸入器を取って話したそうにするので、語りかけることがいいことなのかわからず私は混乱する。しばらく手を握って、眠りに落ちたように思われた頃、「またくるからね」、そう言って病院を後にした。

 その後数日間、帰国後の訪問のために愛知に行かなくてはならなかった。5日は家族と別行動、私は一人になる時間が欲しかった・・・。
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2006年06月09日

 新緑の頃・続き 3

 (5月22日、記す)

 5月7日、再び祖母の病院を訪問する。

 祖母は手を固定されていた。治療器具を取ろうとするからだと言う。
 どうすることがよいのか、どうすることが祖母のためなのか・・・全くわからなくなり、さらに動揺する。話しをしたそうにしているのなら、そうさせてあげるのがいいのか、そのことが命を縮めてしまうことで、してはいけないことなのか、したいことをさせてあげずに生きていて欲しいと願うべきなのか・・・。
 声をかけることがかえって祖母を苦しめてしまうのかもしれないと、声にならない声で伝えるしかなかった。「おばあちゃん、ゆきだよ」と。
 誰かを応援するとき私は「がんばって」という言葉を意識して使わないようにしている。がんばっているだろう人にそれ以上のがんばってを言えないからだ。それでも会話では、思わず口をついて出てしまうことがある。けれど祖母の様子を見て、この「がんばる」という言葉が何と酷なのだろうと、そのときは思わずにはいられなかった。限界のところでがんばっている人に、この言葉は絶対に使えない。がんばってという言葉だけじゃない、どんな言葉も出てこなくなる。ただ、見ていることしかできない・・・。
 今日が最後になるかもしれないとどこかで思い、そんなことはない、まだまだ先と打ち消す、その繰り返しをしながら、どうしようもなく涙がこぼれた。
 
 ・・・この日が生前の祖母と会った最後の日となった。
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2006年06月10日

 新緑の頃・続き 5

 (5月25日、記す)

 今日になって、わかったことがある。
 祖母の死が間近に迫っていることだけが、私を動揺させたのではない。私だっていつ何が起こるかはわからない。それは誰に対しても言えることである。
 もし容態が同じ状況でも、祖母が身を起こして、以前のような口調で「おかえり」と話しかけてくれていたら(それは無理なことだったが)、あれほど混乱はしなかったのだろう。そう考えたとき、ここ2週間の自分の状態を理解したように思う。

 自分が動くときに力を使うように、その力は相手に注がれるということ。
 何かを表現するときに使われた力は、相手に取り込まれ得るということ。

 私は力が欲しかったのだ。
 祖母の自然な動きを止めさせられていた事実で、私の気力はすり減っていた。末期の治療について、祖母にどうして欲しいのか(必要ならばLiving Will)を書き記してもらうべきだったと思い、その難しさについても考え、思い巡らせる全てのことも結局、今となっては何もできないという壁にぶつかるだけだった。
 そうやって考えが堂々巡りをしていた時にハンドボールを見に行きたいと思ったのは、大きな躍動のある(身近な)競技を見ることで、憔悴し気力を失っていた自分の中に力を与えてくれると感じていたからなのだと思う。
 祖母の見送りから帰ってきて、ふとプルシェンコ選手の演技を見たときも、彼がその指先まで使う力、全ての動きに使われるエネルギーのようなものが、今まで以上に大きく大きく感じられた。私が疲れてきっていたからだと思うと同時に、彼が発する力を受け取っていたのからなのだとも思う。

 今の私はそうやって、人の動きを見たり、音楽を聴いたり、心をうつものを自分の中に取り入れることで力を得ながら、少しずつ本来の自分に戻している。

 だから・・・
 逆に、今私が書き綴ることで使う力は、きっと誰かの中にも取り込まれていく。
 誰かを応援したいという気持ちや声は、きっと相手の中にも取り込まれていく。
 そう信じて、これを記している。
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2006年06月12日

 HWC Germany 2007 Vol.1

 ドイツではWorld Cup Soccer 2006が開幕、日本も連日その放送が盛んです。
 サッカーも昔から好きなので大いに関心ありですが、週初めの月曜日、まずはハンドの話題で・・・タイトルのHWCはHandball World Championshipの略です。
 先週末行われていたアメリカ大陸の予選を終え、大陸代表国が出揃いました!以下に既に出場を決めている国の通称を記します。

 <前回の優勝国:1> スペイン
 <開催国:1> ドイツ
 <ヨーロッパ:3> フランス・デンマーク・クロアチア
 <アジア:3> クエート・韓国・カタール
 <アフリカ:3+1> チュニジア・エジプト・モロッコ・アンゴラ
 <オセアニア:1> オーストラリア
 <パン・アメリカ:3> ブラジル・アルゼンチン・グリーンランド

 出場24カ国のうち、16カ国が上記のように決定しました。
 残り8カ国の出場権はヨーロッパ大陸にあり、先週と今週末の最終予選で決定します。以下8カードの(16チーム、アウェイとホームで試合が行われ、総合得点の高い方)勝者が出場権を得ます。現在までにわかる結果はご覧の通りです。
 
セルビア&モンテネグロ 31 対 37 チェコ
ギリシア 27 対 22 ポーランド
ポルトガル 21 対 30 ウクライナ
スイス 26 対 41 ロシア
スロヴェニア 36 対 26 オーストリア
スウェーデン 28 対 32 アイスランド
ルーマニア 29 対 30 ノルウェー
スロヴァキア 24 対 33 ハンガリー
 補足、さらにお伝えしたいこともありますので、明日につづく♪
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2006年06月13日

 HWC Germany 2007 Vol.2

 昨日からの補足です。
 出場国の規定について。24ヶ国のうち(前回の優勝国:1、開催国:1、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、パン・アメリカ代表:各3、オセアニア代表:1を除くと)9カ国については、前大会の順位が関係しています。つまり2005年のチュニジア大会、上位9チームはヨーロッパ8ヶ国、アフリカ1ヶ国、という結果でしたので、そのように出場権が振り分けられています(先日の記事でアフリカに「+1」がついているのは、こういった理由からです)。

 こちら(http://www.ihf.info/CDA/tunisia_2005,360,0,,en.html)の[Ranking Summary]をご覧になると、前回の順位がおわかり頂けますが、それ以上に見ていただきたいのが、同じページにある[Team Fair-Play]。優勝国のスペインが首位でフェアプレーを賞賛されていますが、日本は5位!誇るべきことだと思うのは私だけでしょうか・・・。

 今後についてですが、来週末のヨーロッパ最終予選が終了すると出場24ヶ国が全て決まります。その後、7月14日にベルリンで抽選会が行われる予定です。
 抽選をするのは『ハンドボールのゴッドファザー』(公式ページでこう表現されていました♪)と称された4名の方、以下の通りです。

ダニエル・ステファン(ドイツ) リンク先はドイツ語
タラント・デュイシェバエフ(スペイン) リンク先はスペイン語
ユン・キュンシン(韓国) リンク先はスポーツイベントのA to Z のy行
マグヌス・ヴィスランデル(スウェーデン) リンク先は英語

 世界選手権の結果が北京五輪出場権に大きく関わってきますので、注目していきたいと思います。
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2006年06月14日

 新緑の頃 おわり

 祖母のことについて生前から、『新緑の頃』として記録していましたが、書き記しながら今までの文章では触れられなかったことを、最後にここに綴りたいと思います。

 私は運良く祖母と再会することができましたが、海外に暮らしていると親や親戚や友人・・・大切な人たちの大事なとき、そばにいてあげたいときに、駆けつけることができない時があります。
 海外出身の親友が日本に滞在していた折の話しです。
 用事があって部屋をノックしたとき、明らかに泣き声で答えたので心配しながら入室すると、彼女の大切な友人の父親の『死亡確認(この表現については後日記します)』を知らされたばかりだ、と言いました。友達の元に駆けつけてあげたくても、彼女にとっては不可能なこと。「こういうときが一番辛い・・・けれど、日本に来ることは私が決めたことだから」と気丈に語っていましたが、澄んだグリーンの瞳のまわりが真っ赤だったことは、今も覚えています。
 海外でプレーするということは一見華やかに見えますが、プレーに関わること以外に抱える辛苦も多く伴います。今回記した親友の例もそうですが、暮らし(家族も一緒の場合、保険や滞在場所、ビザの申請等の諸手続き・・・大変かもしれませんが、それ以上に素晴らしいことの方が多いですね)に関しての面でも、大小さまざまにあります。
 それでも、海外でプレーすることで得られるものは、何にも変えられない価値を持っているのでしょう。昔、海外で暮らす私を日本から支えてくれた人がいたように、私も海外で挑戦する方々を応援していきたいと思います。
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2006年06月15日

 Hrvatska & Nogomet -WC98- 1

 Hrvatska & Rukomet 1 で『nogomet』の意味をお伝えしましたが、クロアチア語でサッカーです。日曜日に控えた試合を前に、ここはサッカーの話題で♪

 まず紹介したいのが、『クロアチア・サッカーニュース』。
 某テレビ番組で「クロアチアサッカー博士」の称号をもらった(実際見ていないのでわからないのですが)、長束恭行さんのブログです。
 長束さんとはクロアチア繋がりで知り合ったのですが、出会った当初はまだ日本在住でした。「夢」と語っていらした「クロアチアへの移住とサッカー三昧の生活」を、ご自身の熱意と努力で手に入れた方です。
 私たち一家がオランダ滞在時、サッカー関連の取材旅行の途中(と言っても随分と遠出になってしまったのですが)、はるばる我が家に足を運んでくれました。その時は主人(主に聞き&つっこみ担当)も参加でクロアチア情報満載の一夜。サッカーとハンドボールの話しに始まり、クロアチア人の特性や日本人との相性、サッカーの裏話等、話題が尽きることなく、それはそれは楽しい時間でした。
 
 長束さんとのお話しの中、「クロアチア人はボールに対する『粘着力』が優れている」ということで、お互い意見が一致しました。球技に強い国・・・、民族性なのかな、とか、遺伝子的に何かあるのかもね、という話しにもなりました。
 水球、バレーボール、サッカー、バスケット、ハンドボール、テニス。
 世界に轟くような結果を残したものは、球技がほとんどです。
 『粘着力』以外に『執着心』という言葉も出ました。これはボールに対してもですが、勝利への執着に対してもです。選手だけでなく、国民全体がです。

 「どこからその自信がくるのかわからないのだけど・・・勝ちを確信してるよね」
 私が発した言葉に、長束さんは大きく頷いて笑っていました。
 8年前のワールドカップ、日本対クロアチア戦。当時、私はクロアチアでその試合を観た数少ない日本人であることを、長束さんはご存知だからです。<つづく>
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2006年06月16日

 Hrvatska & Nogomet -WC98- 2

 8年前、それまでにない長い期間(と言っても2ヶ月)をクロアチアで過ごしていた私には、ひとつ疑問がありました。 「なぜ日本人だとわかる?」
 アジア出身の人同士だと、微妙に違う輪郭や顔つき、雰囲気等でお互いがどこの国の出身かわかる場合もあります。けれど街中を歩く私にクロアチアの人々が

 「決勝トーナメント出場は、もらった!」
 「勝たせてもらうぜ!!」
 「日本もいいチームだが、クロアチアが上だな!!!」

 日本人と決めつけて(当たってますが!)、頻繁に声をかけてきます。私は浴衣を着て歩いているわけでもないし、ブランド品も身に着けてないのに、なぜなぜ?
 「私は○○人よ!」(○○には日本以外の国名)と言ったら、どう反応するのかなって内心思ったりもしましたが、そこはワールドカップのシーズン。みんながそのお祭りを心から楽しんでいて、とても嬉しそうに私に話しかけるので、得意の曖昧な微笑みを返しておきました。実際、かけてくる言葉が、とてもユーモアに溢れていて、ぷっと吹き出してしまうようなこともしばしばあり、思わず話し込んでしまったこともあります。
 そんな風に街全体(私がいたのはザグレブです)・国全体が、活気に溢れていて素晴らしい時期でした。
 
 日本戦は友人二人とテレビ観戦。試合前、「Yukiはどっちの応援?」と聞かれ、「どっちも!」(当時、私はシューケル選手とボバン選手がお気に入りでした)と答えると、ふたりは少し安心したように「じゃあ、遠慮なくクロアチアの応援をさせてもらうよ」と笑っていました。遠慮なくというよりは容赦なくといった表現の方が近かったのでは、と後で思いましたが・・・。
 試合終了後、三人でザグレブで有名な肉料理店に夕飯を食べに行きました。
 おいしい食事に飲み物、デザートをたらふく食べて、日本の負けもどこへやらの上機嫌になった私。
 会計を割って払おうとすると、二人は「ここでは勝者が敗者にご馳走することになっているんだよ」と言って私からお金を受け取りませんでした。クロアチアの風習が本当にそうなのか、実は知らないのですが、ふたりの心遣いがとても嬉しくて、忘れられない一夜として記憶に残っています。<つづく>
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2006年06月19日

 思い出の体育館@岡崎 前編

 18日、国体予選愛知決勝が行われた、岡崎市立中央総合体育館。
 私にとって非常に思い出深い場所です。「『トヨタ車体』対『大同特殊鋼』」の決勝になった場合、試合開催がその場所と知ったときには「行くしかない!」
 前々からTomoさんの愛知訪問をお聞きし、日程と時間が合えばご一緒に観戦しましょうとお誘い。さらに岡崎には大親友が住んでいることもあり、試合終了後に迎えにきてもらうことになって、待ち遠しい日曜日でした。
 今回は、早々と大同特殊鋼(の方々、ごめんなさい!)ではなくトヨタ車体を応援することに。岡崎の体育館ではトヨタ系の会社を応援することに決めているという、全く個人的理由からです(さらに個人的理由2もありますが、省略)。しかしハンドの「観戦」には、ジンクス持ちの私・・・。

 以前と変わらないホールに入って感慨にふけっていましたが、入口の雰囲気で試合開始されたようだとわかったので、足早に2階応援席へ。前半は車体応援側で立ち見しながら観戦。私は立って見るのが好き、というか、クロアチアの応援に行くと皆が皆立って応援するので、座っていたら見えません。癖になってしまっているのか、私は立っているほうが応援しやすいです。

 休憩中にTomoさんと合流。つい私が質問攻め(悪い癖で・・・)にしてしまっていたのですが、ひとつひとつ丁寧に(ハンド関係の方は皆さん、相手にわかりやすく教えてくれますね、嬉しい限りです♪)答えてくれました。私は頭の中の画像のみで捉えていて、言葉にできない部分がプレーに関しては非常に多いのですが、「ああ!なるほど!」という表現や再認識をいくつも頂きました。この場で改めてTomoさんに感謝します、ありがとう!ございます!

 結果は、先程記したジンクス通り、私が応援したチームが負けました・・・。

 試合終了後にTomoさんとお別れし、お会いしたい選手の方を探していると、ここはスイスか!チューリッヒか! <後が見えていますが、つづく♪>
posted by yuki at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | Memoirs | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月20日

 思い出の体育館@岡崎 後編

 見事に姜監督と再会(ホールをうろうろするとお会いできる確立、現在2/2)。
 数秒間感激のあまり、すぐ横にいらした清水助監督に気付かず、またもや監督に「しみずさんです」と紹介されてしまった愚か者の私でした。スポーツウェアが似合いすぎの清水さん、以前と雰囲気が全く異なっていたので、選手の方だと思い込んでいました。
 さもすると監督に「ここでプレーを見せてください!」と言いそうになるのをこらえていると、清水さんからスイスでの待ち合わせの話題が出て、慌てて「本当にごめんなさい!」と頭を下げました。「ケンチャナヨ(=気にしないで)」と言って笑顔の監督にどきどき(主人へ・・・すみませぬ)。お二人と会って間もなく、お会いしたかった選手の方を発見。「失礼しますね」、とその場を離れました。

 お会いしたかったのは、辻昇一選手でした。
 日本で活躍する選手の方で、私が最初にコメントを残したのは辻選手のブログ。
 タイトルに使われていた言葉、『熊本にて思う』に引きつけられました。辻さんが話題にされた時期と、私が辻さんのブログを知った時期が重なっただけと言えばそれまでなのですが、私は本当に驚いたものです、9年前のことをこうして書く方がいらっしゃるのだと・・・。
 開口一番に「ごめんなさい!」と私のジンクスについてお伝えしたところ、涼しげに笑っていらした辻選手は、想像していた通りの爽やかな方でした。
   
 最後に、大親友を待っていたときの微笑ましい出来事を記します。
 大同特殊鋼の選手の方々が入口付近で応援団や家族の方々と一緒にいらっしゃいました。女子高校生のハンドボール部の女の子たちは、遠巻きに見ながら、恥ずかしそうに少しずつ近づいていたのですが、そんな彼女達に気付いた応援団や父兄の方が会話の中に入りやすいように気遣われ、選手へのサインを頼みやすくしてあげていました。サインをもらって嬉しさのあまり言葉がでない女の子もいる中、父兄の方自らが写真撮ってあげたり、選手の方は気さくに声をかけてあげたり・・・。選手の方々が去ると緊張の解けた女の子たちが「きゃ〜!!」と叫びながら体育館に入っていき、その一連の出来事を応援団の方は楽しそうに見守っていました。そして最後に「そんなに嬉しいこと(なのか?のような疑問符でひとりごと)・・・そうなんだろうなあ」と、皆さん笑顔で帰路につかれました。
 素敵な方たち。まんぼうさん主催のベストサポーターに選ばれたことに大納得。
 女の子たちは会場に戻って、きっと同級生達に喜びをわけていたことでしょう♪

<大事なこと書き忘れの追記>トヨタ車体・大同特殊鋼の選手、スタッフ、応援団の方々、会場にいた高校生、大学生・・・皆さんに、お疲れさまでした!
posted by yuki at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | Memoirs | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月21日

 HWC Germany 2007 Vol.3

 週末の忙しさからやっと落ち着き、今はっと気付きました!
 先週末には世界選手権のヨーロッパ大陸予選が行われていたのです。
 残りの切符を手にしたのは・・・

 チェコ 
 ハンガリー
 アイスランド
 ノルウェー
 ポーランド
 ロシア
 スロヴェニア
 ウクライナ

の8カ国です(結果詳細はこちらへ)。 前回お伝えしましたが、7月14日ベルリンで組み合わせ抽選会が行われます。
posted by yuki at 02:00| Comment(0) | TrackBack(0) | World Championship & Olympic | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月29日

 Enjoy EHF homepage! -Referees- 4

〜 2006年4月20日付EHFチャンピオンズリーグ・ホームページの記事より 
決勝戦第1節 イヴァン・ドレイス審判員へのインタビュー 〜


質問: 国際審判員になって12年ですね、一番の思い出は?

ドレイス氏: 何年もやってきていて、多くの思い出があります。国際試合は全てそうだと言えますが、2001年にイタリアで行われた世界選手権女子の決勝と、2000年のシドニーオリンピック男子準決勝ロシア対旧ユーゴの2つの審判が特に思い出深いですね。

質問: 審判員を始めたきっかけは?

ドレイス氏: 以前本格的にハンドボールをやっていましたが、選手を辞めてから審判員を始めて24年になります。私と同僚はカップルを組んで16年、兄弟のようなものですね。

質問: 国際審判員として家をあけることが多いと思いますが、大変なことはありますか?

ドレイス氏: ここ10年程、家族と一緒に休日を過ごせないでいます。私の休日は全てハンドボールに費やされているので、家族にとっては辛いところだと思いますね。私たちはハンドボールを愛しているので審判をやっていけますが、退職後は家族と多くの時間を一緒に過ごせるようにしたいですね。

質問: お辞めになった折には、何か寂しいものがあるのではないでしょうか。

ドレイス氏: ハンドボールに関した仕事を続けていくつもりですし、チェコハンドボール協会での仕事もありますから、常にスポーツに携わっていくことになりますので・・・。
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2006年06月30日

 Enjoy EHF homepage! -Referees- 5

質問: 一番大変だった試合は?

ドレイス氏: 12年前、同僚と私が国際審判員の資格を得た直後の、チェコ国内での試合です。私たちにとっていい日だったとは言えませんでした。その試合が常に頭のどこかに特別なものとして残っています。

質問: 試合の中で起こった一番面白いことは何でしょう?

ドレイス氏: (笑) 同僚が言うには、リターンする際(戻ってくるとき)に、ボールが自分の方に向かってきていると気付いたときの私、またそのボールをよけようと慌てる様子が、非常におかしいそうです。これまでに何回もあったことなのですが。

質問: 審判員を始めて以来、ハンドボールに変化は見られますか?

ドレイス氏: 年ごとに、だんだんと速くなっているように感じます。私個人の意見ですが・・・20年前は技術でしたが、現在は力強さと速さが重視されているように思います。

質問: 間もなくのチャンピオンズリーグ決勝戦に向けての準備は?

ドレイス氏: 精神面では、個々の選手やチームに対してではなく、試合そのものに焦点を合わせるようにしています。週に何度も、試合が上手く成り立つために私たちができ得ることをしています。(そうすることで)試合後に、両チームの方々に満足していただけることを願っています。それが、私たち審判員にとって最も重要なことなのです。

<あとがき> 訳は私が独自に行ったものです、ご了承ください。
posted by yuki at 12:02| Comment(0) | TrackBack(0) | Referees | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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